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2012年11月28日 (水)

小説木幡記:大河内山荘の春~秋

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 大河内山荘(嵯峨野・2007年春)

 今は秋なのに春の名園をしるしているのは、単純なことで、大河内山荘はこの10年の間に三度はおとずれているが、どれも春先なのだ。庭の結構はすばらしく、どんな物語もここから紡ぎ出せる予感がずっとしてきたが、それにしても春物ばかりで、秋物がない~
 秋は、想像にしておくか、来週あたりは京都も相当に冷えるから人もいなくなるだろうで、ついちょっとでかけてみるかい~。

 そこで、この写真をみていて施主の大河内傳次郎さんにちょっと言いたくなった。
 一つは、写真の右側を支えている細い柱だ。いかにも数寄とおもえるが、しかし不安定な気分にもなる。野趣たっぷりの野太い荒削り大木がどんと軒を支える趣向はどうじゃろうね、傳さんや。
 もう一つは、障子の下半分が硝子になって、寒い冬でも雪景色を愉しめる雪見の仕組みだが。これも全ての障子が雪見風になっているのは、興を削ぐな。せこせこしているような気になるぞ。そんなに外がみたければ、全部片寄せて寒空との端境をもたずに、せいぜい巨大な手炙りで暖をとって、熱燗で雪を愉しむ方がよかろうかな、傳さんや?

 いやいや、傳さんの山荘だから。それにもうおあいできないのだから、余の勝手な言いぐさだよ。
 しかし、こういう山荘に住んでみたいと思わせるのは何だろうね。
 浮世離れした清潔感かな。

参考
  Architectural Map (洛西の名園:大河内山荘)
  大河内山荘庭園(京都府観光ガイド)

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2012年11月27日 (火)

小説木幡記:檜原神社の不思議な三ツ鳥居

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 三輪山麓・檜原(ひばら)神社の三ッ鳥居

 写真は2004年頃、秋の檜原神社正面のものだ。昔からこちらさんの鳥居には惹かれてきた。なにかしら古色を味わう。

 ここで見られる三ツ鳥居は、大神神社の三ツ鳥居(模型)とは近似だが、京都の蚕ノ社(木嶋神社)の三柱鳥居とは全く異なる。事典(参考)をみると、室町時代の三輪山古絵図にはすでに檜原社に三ツ鳥居が描かれていたとあり、ネットのそこここで確認できる。ところが見る限り、この「三ツ」の意味するところは不明のようなので、少し推理してみた。

 鳥居は神さんに直結する水平方向の空間を遮断する結界(端境:はざかい)なのだろう。鳥居の内と外では空間の違いがある。それが三つ並べてあるのは、三柱(複数)の神さんが同居されているから結界遮断装置を三つ作った。勿論三つというのは複数の神さんのことで、それのどなたかを代表神という扱いが出来ないくらいに、神さん達がそれぞれ強烈な荒御魂なのだろう。
 なお一般に参道の外側から一ノ鳥居、二ノ鳥居、三ノ鳥居とならぶのは、結界の密度が内に行く程徐々に濃くなると考えておく。

 大神神社(おおみわじんじゃ:三輪明神)の摂社としてある檜原神社のご祭神は、事典(参考)ではアマテラスワカミタマ(天照若御魂神)、イザナギ(伊弉諾尊)、イザナミ(伊弉冉尊)となっている。本殿は大神神社と同じく無く、三輪山に直結しているので、御三神は禁足地の中でそれぞれ磐座(いわくら)に住まわれているのだろう(神さんの世界は想像を絶することである)。

 ここで天照若御魂神さんとは、非常に難しい御神名だ。若を抜くと、天照御魂神となり、この神さんがまたしても単純には御素性が分からない不思議な御柱であらせられる。「若」はこの場合荒御魂の意味もあるだろう。ところが大神神社による檜原神社のご祭神は「天照大御神:アマテラスオオミカミ」とあり、この神さんは皇祖神代表として伊勢の内宮に祀られている。そしてまた、元伊勢とも伝承されるこの檜原神社こそ、当時の崇神宮中からアマテラスオオミカミが遷されたお社だった。どこかで伝承が混乱しているのか、あるいはそれぞれにそれぞれの伝承古層があって、話が分岐しているのか、今の余には判然せず。つまり、天照若御魂神ならばこの神さんは、天津神とも国津神ともおもえる御柱であるし、天照大御神となるとこれはまごう事なき天津神代表である。そして三輪山こそは國津神代表の大物主さんがおられる御山である。(天照御魂神につき、下記の3に詳細あり)

 そしてまたそこに、アマテラスさんのご両親にあたり、日本國を生まれたイナナギ・イザナミの夫婦神が祀られている。なかなかに檜原神社は御祭神からみても、三輪山をご神体と見ることからも、難しいお社である。余にはよく分からぬ。

 さてこそ鳥居という漢字を当てたのは、鳥が上柱に止まるからかな(笑)。あるいは吉野ヶ里遺跡を復元された研究者達が、門の上に盛んに鳥を飾ったり、あるいは纒向遺跡からは鳥の木形もでていることから、鳥は日本でも古代から霊を持っていたり、守護霊になったりしていたのだろうか(調べれば分かるだろうが、また後日に)。つまり鳥居と名付けることで、結界の強さを高めたと思う。(事例写真は、4と5)

 なお、結界といえばなにやら妖しいことを想像する方も多いだろうが、そんな特別なことではない。普通の人間の感覚でいうと、「区切り」「違う世界の徴」「幽界と明界の明白な境」「山と地上の境」「上りと下りの峠の茶店」。つまり、神さん世界と神さんにあらざる俗人世界の違いを、特に人に対して明白に知らしめる徴、装置である。古代のことをなにごともトンデモない話と早のみこみする人が多いが、単純に素直に考えれば、間違わない。

結論
 三輪山北辺の檜原神社・三ツ鳥居とは、ご三柱の神さまを鎮める結界。としておく。


大きな地図で見る

参考
  1.私の京都:木嶋神社の三柱鳥居(このしまじんじゃ・の・みはしらとりい)魔界巡礼秦氏の謎
  2.大神神社:三輪明神
  3.纒向宮殿紀行(4)他田坐天照御魂神社(おさだにいます あまてるみたま じんじゃ)
  4.九州2011夏:佐賀篇:吉野ヶ里遺跡 {この記事中、「3.1吉野ヶ里入城」と「3.3北内郭を中心とする、王宮と祭祀の空間」に鳥の様子がある}
  5.桜埋文07:様々な出土遺物:水に縁がある {たしかに鳥形がある}

  寺院神社大事典:大和・紀伊 / 平凡社編、 1997.

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2012年11月26日 (月)

小説木幡記:ぶらり、東大寺の金銅八角燈籠

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国宝・金銅八角灯籠

 東大寺というよりも大仏殿は何度も訪れている。最初は小学校での、あれは社会見学だったのか、30円という限定小遣いを持って行ったことがある。当時はいろいろな事情があったのだろう、見学日や修学旅行での持参物はすべて厳格な管理下に置かれていた。そこで、30円で買った物は、なにかしら金属製の大仏っあんの小さな置物だった。

 と、そのときの記憶ではこのでっかい灯籠は何も残らなかった。多分参道の出店で何を買うか、それだけで気持ちが一杯だったのだろう。気にしだしたのは高校生になって、悪友達と奈良に出向くようになってからだ。そのころは、京都の三条京阪駅に近鉄電車が乗り入れていて、奈良の大仏やドリームランドへ行くには便利だった。悪友達はみんな余よりも大人びていて、高級カメラを持っていて、いちいち撮影する対象について蘊蓄を傾けていた。余はただそれを「ふーん」と聞くだけの、ちょっとばかし、脳天気な少年だったようだ(笑)。

 少年、老いやすく、学なりがたし。
 これからはデジカメとピタパもってふっと家をでて、京都や奈良や滋賀をもっと歩いてみよう、ぞ。

参考
  東大寺

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2012年11月23日 (金)

小説木幡記:大覚寺の大沢池やよしなしごと

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大沢池と大覚寺

iPhone5の写真
 さきごろ仕事の帰りにいつもの大沢池に立ち寄って、iPhone5を池面にむけた。入手してすぐに、知り合いからおしえられたようにボタンを押すと、とんでもなく広大な風景が一枚の写真に収まった。なかなかのものだ。パノラマ写真と言うらしい。うむ、ふむ。

スマホをWiFiでJMRI接続
 以前に持っていたスマホはアンドロイドOSのものだった。iPhone5の契約のためにアンドロイドは契約を打ち切ったので電話もかからない。だがスマホとはつまり超小型PCだから、お蔵入りはもったいない。
 自宅のWiFi(つまり無線だな。それでインターネットに接続できる)でネット接続して、Google Playにたどり着き、そこで[Engine Driver JMRI Throttle]を無料でダウンロードして、即展開した。
 JMRIとの間で、ちょっと調整して(JMRIがIPアドレスとポート番号を指示してくる)、しらぬまに自宅のDCC電車が動き出した。手のひらの中で電車や機関車を操作できるのは、なかなかに、……。うむ、ふむ。
 これは後日、正確に記録するつもりだ。便利なものだな。
 
 情報では、スマホでヘリコプターを操縦して、空中からビデオを写して手のひらスマホで見たりとか、なかなかにおもしろい世界があるな。当然、探せばロボット制御にも使えるはずだ。(もう、常識かな?)

肩こりと温湿布
 約一ヶ月、激しい肩こりになっていて、特にこの二週間は辛かった。MuBlogを書く気力がゼロになる。いろいろ人にも聞いて、結局温湿布にしている。なかなかきく。
 で、単純だ。
 今日は、ラジオ体操をした。
 風呂に肩まで浸かった。
   ちょっと全身が熱いので、肩に強烈な匂いのするハッカ油をすりこんで一休み。
 夜は、パジャマの上からホカロン(携帯懐炉)をガムテープでXに貼り付けて就寝予定。
 ~
 余りに痛いときは、鎮痛薬「ロキソニン」を一錠飲んで佳く効いたが、くせになりそうだし、胃があれそうだから、深夜眠れなくなったときに限定する。

作家・笠井潔はなかなかのものだ
 青銅の悲劇:瀕死の王(講談社文庫上下)を読み出したが、なかなかのものだ。わざと売れないようにかいているふしもあるが(笑)、実に味わい深い。慌てず騒がず流行に右顧左眄せず、じっくり読み切る値打ち物だな。

それで
 ともかく肩こりを治さないと、ときどき思考がとぎれるくらいに酷い苦痛を味わう。老眼かけて、終日読書したりPCを触るからだ。MuBlog記事を書くなんて、もってのほかだ。仕事も捨て置こう!(邪笑)
 ちょっと、ゆっくり生きましょう。

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2012年11月18日 (日)

小説木幡記:京都タワーはお灯明

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 修復中の東本願寺阿弥陀堂とお灯明のような京都タワー

 春は桜、秋は紅葉と、我が宇治や京都は観光地で混み合う。特にいまどき晩秋に、嵯峨野や嵐山や東山界隈を自動車やバスで走るのは絶望的な思いにおそわれる。JR、京阪、阪急、嵐電、地下鉄、叡電とそれなりに線路はあるので、電車に乗るのが一番だな。ホテルに泊まっての散策観光ならば、朝一番とか夕暮れ時になると少し空いている。夕暮れ時はライトアップもあるので、それなりに愉しめる。朝一番は、社寺だと9時頃開門が多いからなぁ。ああ、拝観料は、神社は無料が多いが(御庭などは別かな)、お寺は沢山必要。一寺なら負担はないが、京都は見どころが点点ではなくて、面だから、総計すると青ざめる。なんとかならんかな。そうだ、博物館も有料だが、図書館は原則として無料だ。みんな宇治や京都の図書館へ行って、社寺の写真集を眺めれば、効果的だ(笑)。

参考
  二尊院と西行庵跡や定家卿時雨亭跡(MuBlog)

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2012年11月14日 (水)

小説木幡記:詩仙堂の鹿威し

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詩仙堂の鹿威し

 カツーンと幾分高い音がする。現代のアンプやスピーカーなどないから、どこまで鹿を威嚇するかはわからぬが、古来日本庭園ではよく見かける。複雑なからくりには見えないから、作ってみたいと長年思い続けたが未だに手つかずだ。おそらく水の量と「ぎったんばっこ」のバランス問題を解決すれば、何とかなるだろうが、石にあたった竹筒がどのくらい佳い音をだすかは、難しい。庭園の要素としてしっくりした音を出させるのが、実験に次ぐ実験になるような~

 以前にも鹿威しの写真を掲載したら、音楽系の出版社の目にとまり、掲載依頼があって同意した。別途天皇陵関係の写真なども同じく。写真はどこかの現地へ行く必要があるので、すぐには間に合わないのかもしれない。おもしろかったのは、京都大学の時計台を写したら、理工系の未知の助教から依頼があって、ご自身たちの研究室サイトの表紙に使われたようだ。その後は見ていないが、これはなにか狐につままれたような変な気分だ。時計台のすぐそばの研究室がどうして~あはは。

 しかし鹿威しは~よく調べていないが、やはり京都などは社寺庭園が多いから、比較的にそこここにあるのかもしれない。気安く行きつけの庭園写真とおもっていたが、多少は地場の利かもしれない。話はかわるが、小堀遠州作庭もたくさんあるなぁ。

参考
  詩仙堂
 なお、鹿威し=僧都・添水(そうず)と考えておく。

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2012年11月13日 (火)

小説木幡記:石庭模型(龍安寺・りょうあんじ)

Mudsc00701 石庭の模型(龍安寺)

 どうにも模型に目が行く質なのだ。本物と思われるものが真髄の模型で、模型こそが真髄といえるような、まるで荘子世界に生きている気分になる。模型が先にあって、それを作った人や鑑賞者はそれだけで満足しているが、世の中の無理解な人達にもわかるように、お金をかけてそれらしくでっかい石庭を作った。と、余はそんなふうにも想像した。

 龍安寺の石庭は砂模様が綺麗だから、この庭を歩くのはあまり無いことと想像する。硝子越しの博物館みたいだな。しかし散策せずにみるだけなら、模型の方がよかろう。いや真髄は模型にある、と。

 写真の石庭模型は、目の不自由な人が、龍安寺の石庭を手で触って分かってもらうためのものだ。砂がボンド水で固定されてはいないので、触って砂模様が変化したなら、係りの人がもとに戻すのだろう、と想像。

追伸
 石庭そのものへの感想は、室町時代以来、招かれて眺めた人にはずっと話題だったろうが、石の組み合わせと石群の配置は、なかなか定めるのが難しいことだったと想像。神社の磐座(いわくら)のように、最初からどーんとそこにあったものに御幣を付ける方が気楽だな。石庭は人為のものだ。人為に美を感じるだろうし、そこにあるものにも永遠を味わうものだ。人の感性は素晴らしいと、思った。

参考
  龍安寺:石庭の謎

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2012年11月12日 (月)

小説木幡記:祇王寺の庭(京都市・嵯峨野)

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祇王寺の庭

 この写真は初夏に写したものだ。余は地場の利をつかって、人で溢れる春や秋に嵯峨野を歩くことは殆ど無い。地場であればこそ、だれもいない京都の焦熱夏場や厳寒冬場の嵯峨野を楽しむわけだ。花も紅葉も目には入らぬが、その分、心の中に山桜や真っ赤なもみじや楓が風にそよぐ。

 で、余は嵯峨野風景の中でも祇王寺を気に入っている。静かな木漏れ日の庭を通して、茅葺きの祇王寺を眺めるのが好みなのだ。実は、この庭の右手には嵯峨野でも指折りの竹林があって、情感はいや増す。
 (祇王寺の側の道をしばらく歩くと、滝口寺(MuBlog)に出る。そこもよい)

 余はこういう庭の結構や建物や風や日差しを眺めていると、大抵はうとうとしてくる。つまり立ったまま白昼夢にひたる。多分数秒間のことだろうが、それが不意に遮断されて現実の庭に再び目を戻したときの独特の覚醒感が気に入っておる。白昼夢の中身は大抵「無」か、あるいは空想の物語の断片である。夢の中で必死に物事を考えこむことはよくある。~だから、睡眠が必要なのだろう。考えるためにな。

参考
  祇王寺

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2012年11月11日 (日)

小説木幡記:平城宮跡

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平城宮跡(写真右、大極殿)

 今、手元にあるのは『平安京再現/井上満郎』(河出書房新社、1990年)という図版図書だ。平城宮跡を写すなら、図書も平城京再現がよかろうに、……。平城宮は藤原氏専権のなかで執り行われたせいか、都が比較的低地(水はけがわるい)に設けられて、水はけの良い東部高地に春日大社や興福寺がある。前者は藤原氏の氏神さんで、後者は藤原氏の氏寺である。

 さすがに平安京ともなると、そういう極端な土地取得事例は知らない。もちろん、畏友のJo氏などは平安京といえば必ず秦氏の暗躍をほのめかすが、……。さて、どうなのだろう。平城京遷都での、藤原氏の土地確保は間違いない事実だが、後年の平安京・秦氏のことは良く知らぬ。

 平城宮跡に復元された大極殿が、望遠レンズの中で形を見せていた。京都市だと、西北東の高地からは京都タワーと京都御苑(中に、京都御所がある)が目立ち、南からは伏見桃山城がくっきりと姿を現す。奈良市では西に向けては写真の平城宮跡や、垂仁天皇陵(巨大な前方後円墳)が目立ち、南にむけては桜井市や橿原市近郊の大和三山が目に止まる。

参考
  第一次大極殿(復元)


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2012年11月10日 (土)

小説木幡記:斎宮歴史博物館でのひとこま

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「斎王が神宮の三節祭で行う祈りの様子を復元したマジックビジョン」(斎宮歴史博物館)

 写真の、マジックビジョンというのは、いわゆるホログラフィー技術かとも思っていたが詳細はわからぬ。それらしい記事がネットにあったが出典がわかりにくいので引用はさける。結果として、模型の中に実写の小さな人が動き回る。多分、模型と実写映像を重ねて見えるようにしたのだろう。

 斎宮歴史博物館は近鉄電車の線路からは500m程で、回りに家は少ない。発掘調査が進んでいて、平成26年には斎宮の建物などが復元されて、歴史公園ができるらしい。

 と、記しても「斎宮:さいくう、いつきのみや」が一体なんなのだと、問われるとくちごもる。簡単にしるすと、昔、天皇の娘さん(殆どは、内親王という位を持った女性)が、天皇の代わりに伊勢に下って、年に数回伊勢の神宮(内宮)で天照大神(あまてらす、さん)にお参りしたという伝統がある。その人を齋王ともいい、斎宮とも呼ぶ。これは賀茂神社の齋王が齋院とよばれ、伊勢神宮の齋王が斎宮と区別されたことにもよるが、斎宮はまた齋王が住まう「宮」も指す。

 と、ひとことでは言いにくいが、昔の日本のありがたーい祭祀の一つで、天皇家の皇祖神・伊勢の大神さんにお参りするのだから、斎宮は特別な存在だった。原則としては、天皇が退位されるか崩御するまでは、都にもどれない。しかも日常の制約は年がら年中精進潔斎というか、ふつうの女性にはつとまらない役割だった。だからこそ、歴代には数名、退下理由に「密通」を記された人もいる(データ一覧表)。これはこれで実に、神と人との取り持ち役として、1人の女性の鮮やかな人生を味わえる所行である。佳きかな佳きかな(異常あるからこそ、日常・正常のありがたみが高まる)。

 なお、今でも斎宮歴史博物館で上映される映画や、京都市右京区の野々宮神社や、源氏物語にあって、「齋王群行」や潔斎の様子がよく分かるが、齋王群行については、内田康夫先生のミステリー『斎王の葬列』(新潮文庫)が名著である。

参考
  斎宮歴史博物館
  野宮神社


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2012年11月 9日 (金)

小説木幡記:DE10・嵯峨野トロッコ列車

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 日頃見慣れている鉄道列車といえば、京阪電車の普通や特急、JR奈良線の普通や急行、ときどき近鉄特急や嵐電の車両、ごくまれに新幹線。と、数え上げてみると実に少ない。そういう列車はホームで立って眺めているまもなくドアが開き、中に入ってしまうと「どんな電車に乗ったのか?」と、思い出せないほど日常風景に溶けている。そういえば、京都市の地下鉄も時々乗るが、この列車の全貌を意識したことがない、……。

 鉄路を走る列車に乗ることと、眺めることとは、内からと、外からと、まるで異なった視界の話だと、今朝はっきり意識した。電車、汽車好きの余も日頃は列車の外観を気にすることもなく、ドアが開くといそいそと空いた席を探し、そこに座れば、目を閉じてうつらうつらとしてしまう。いろいろな思いの人もおるだろうが、余の場合は京阪電車やJR奈良線への信頼度は非常に高い。特に前者の場合、遅れるとか、脱線するとか、変質者に出会うとか言う危険を味わったことがないので、じっくり居眠りできる。

 写真の動力車はトロッコ嵯峨駅とトロッコ亀岡駅とを結ぶ観光列車だ。めったに眺めることも乗ることもないが、気持ちの上では身近に感じている。なにかしら理想のローカル観光列車と考えているからだ。こういう観光列車が比較的人気があって、それが開業以来20年もずっと続いているのがうれしい。

 そこでDE10という動力車記号の意味だが。
 Dはディーゼル機関車のD。1350馬力ほどあって、軽油が燃料となる。
 Eは、車軸の数で、5軸ある。一般に前進方向に2軸、逆に3軸ある。車輪は10輪になる。
 10は型番だろう。似たようなシリーズの中での新旧を表す程度としか、知らぬ。

 嵯峨野観光列車では、一両編成だけなので、トロッコ亀岡方面へ行く時はDE10が後ろからトロッコ列車を押し出す。運転台は先頭になるトロッコ車両にも付いているのでうまく行く(笑)。亀岡からトロッコ嵯峨駅に向かうときは、DE10の2軸側が先頭になって走る。撮影したときは、女性の運転士の姿が見えた。
 宇治にも、こういう観光列車が走ればよいのだが。

参考
  嵯峨野観光列車

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2012年11月 8日 (木)

小説木幡記:昭和に生まれて

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 ラーメン博物館の情景

 新横浜と横浜とは違う駅だと知ったのは最近のことだ。金閣寺と銀閣寺とが隣り合わせにあると信じる旅行者を余は笑えない。そこで、新横浜といえば新横プリンスホテルに、ラーメン博物館、とくる。横浜まで出向いてなんでラーメンと思わぬでもないが、ラーメンは日本の心のふるさと、偏狭に外国文明を拒むのではなくて、ラーメンもキムチも一緒にいれて、「日本のラーメンはうまいなぁ」と心からつぶやくのが、国際精神というものだ。
 旧きラーメン店が軒を連ねる横丁には、東宝映画『地球防衛軍』の封切り看板も(別の箇所に)上がっていたので、これは昭和30年代の日本再現と考えて良かろう。もちろん余が小学生の高学年~中Ⅱ病時代の世相だ。
 余はここで、久留米の大砲ラーメンを食した。自分でえらんだのではなくて、畏友の後に付いて入った店だった。美味しかった。

参考
  新横浜ラーメン博物館

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2012年11月 7日 (水)

小説木幡記:神々さんたちの物語

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三輪乃神

 三輪の神さんは蛇神さんかと思っていた頃もあったが、実は大物主「おおものぬし」という大地に直結する偉大で旧き神さんだったと、分かるようになった。
 大地に直結するというのは、要するに作り上げたものよりも、最初からそこにその地にどっかり座っておられたという意味。旧きというのは、今来(いまき)でなくて、誰も知らない旧い時代からの神さんの意味。
 一般に旧神は新しい神々・潮流に押し流されてしまうものだが、三輪乃神さんほどになると、新神さまに覆われるよりも、新神さんを離さないと、世界がどうにもならない荒れようになると、……。そういう経緯が記紀神話に色濃く出ている。

 と。
 神社というのは、言葉に尽くせぬ神々の物語を事実として、今に残している。神社の前で頭を下げるのは、◎◎思想を擁護する行為、とか大昔言われたが、これは無学無知蒙昧のいいようであって、人間の「心のありよう」を真剣に考えないと、馬鹿げた屁理屈に囚われる。
 ここで、「心のありよう」とは、当然にして「神々の物語と人の心の動き」を指している。つまり、幻想でも妄想でもなくて、現実的な人間営為そのものである。

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2012年11月 6日 (火)

小説木幡記:御在所岳はどこの県なのか

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御在所岳のロープウェイからみた伊勢湾

 御在所岳(山)は三重県の山らしい。1200m以上もある。
 そのあたりのことは、大学生のころに友人たちと父の仕事場でアルバイトをしたので、うっすらと覚えているのだが、そこが岐阜県か、滋賀県か、三重県か、あるいは愛知県なのかとんとわからぬままに数十年がすぎてしまった。アルバイトから帰った途端に、人事院から第一次合格の封書がとどいていたのは、人生のおまけだったのか~。

 ロープウェイは足下に150mの高さを知り、すわっていても震えがきた。止まってしまったら、救出も困難をきわめるだろうな。150mもの高所にとどく梯子車は存在しないだろうし、オスプレイが静止していてもヘリと同じくらいの風を巻き起こすだろうし。どうしたものだろう。床に60センチ四方の蓋があったので、あそこを開けてロープをたらすのだろうか~などと、考えるだけでもスリル満点で、絶叫マシンよりも長時間ゆったりと動くから、恐怖は長続きする。

 それにしても、ものすごい迫力で左右の奇岩がせまってきて、こういうロープウェイが日本にあったのか! と余は心から驚愕した。もっと宣伝たくましくして、世界中から「山岳日本」の観光宣伝をすれば、麓の「湯の山温泉」ももっと威勢よくにぎわい、近所まで来ている近鉄電車も便数が増えると、勝手に人の商売を画策しておった。

 未見の人は、ぜひ立ち寄りをお奨めする。日本ばなれした「新世界」を味わえるなぁ。
 (高所恐怖症の方は、10数分間、左右の奇岩をながめておればよかろう)

参考
  御在所ロープウェイ

  
大きな地図で見る

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2012年11月 3日 (土)

小説木幡記:頭の中の大覚寺・嵯峨御所

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嵯峨御所・大覚寺の遅い桜↑ (2012年の4月末か)

 ときどき古い写真を眺めてみる。追想にひたるわけではなくて、MuBlogらしく写っているものをさがしているわけだ。今朝は気に入ったのが見つかった。
 京でときどきみられる真っ青なそれではない、花曇りというのかな、なにかぼよんとした曇り空だ。桜が葉をみせてそれでも花をのこしていた。影になった勅使門。
 まさしく嵯峨御所そのものだ。
 ~
 これが、「大覚寺」と意識したとき、余の脳内に浮かぶイメージなのだ。だからこの写真は現実の桜や唐門ではなくて、陰陽師の眼裏に浮かんだ嵯峨御所である。おそらく式を打つとか、術をほどこすとか、呪をかけるとは、こうした脳内に浮かんだ像を相手のことだろう。と、朝から日本の歴史を頭に浮かべていた。それくらいは陰陽師でなくても、鬼道を良くしなくても、現代人なら写真をながめるだけで、近寄れる。

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2012年11月 2日 (金)

小説木幡記:稀すぎる風邪モード

 実は。
 余は幼少の折から一見、倦怠感溢れた蒲柳の質におもわれてきたが(笑)、実は入院は中学の時に虫垂炎手術で一週間、数年前に血管と胃潰瘍で10日間、その二つ以外は記憶にない。今は仕方なく(笑)、定期的に薬をもらいに医師のもとを訪ねるが、何時行っても何事もない。頭痛も胃痛も関節痛も、眠ったり市販の痛み止めですぐに回復するから、風邪とか胃痛とかで医師を訪ねることは、まずなかった。ああ、歯痛には十年~二十年の間隔で、稀に数回通うな。

 で、昨日まるでかからない風邪に出くわしたようだ。授業が終わってすぐに、そそくさと帰り、ベッドに入ったら、夕方に目覚めた。二時間熟睡したことになる。それまでのだるさ、心身不快が嘘のように消えた。
 今朝はしかし、まだ喉が痛い。
 今秋は喉痛風邪らしいが、余も風邪モードになることがあるんだ、と気付いてなにやら新鮮な気分になった。

 (実は、昨日、見知った上級生2人が風邪で休んだ。1人は完全な喉痛→気管支炎→肺炎になりそうな症例らしく、1人はなにやら深いメランコリックな風邪モードらしい。流行っておるようだ)

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