小説木幡記:元興寺の古式・甍(いらか)
蘇我馬子が建てた7世紀前半の法興寺=飛鳥寺(跡)は、718(養老2年)に飛鳥から平城京に移り、元興寺と呼ばれた。この間の事情は、「だれが寺の名前をどんな風によんだか」を詳細に調べ出すときりがないので、現在の元興(がんごうじ)の公式サイトから引用しておく。
元興寺の名称は『佛法元興之場、聖教最初の地』の言葉より起こったとされます。南大門には、元興寺の扁額があり、他には飛鳥寺、法興寺、建初寺、建通寺、法満寺とも標したと伝えられています。
飛鳥寺→法興寺→飛鳥大寺→元興寺と名称及び性格を変えてきました。
元興寺は平成10年に世界文化遺産として登録された。奈良の街の一角にひっそりと眠ったような、静かで清潔なお寺である。飛鳥寺跡の回りは茫洋とした田んぼのイメージだが、元興寺の回りは民家が取り囲んでいる。
飛鳥寺の西外れには、蘇我入鹿の首塚と呼ばれるものがあった。真偽はしらぬが、その首が奈良盆地を飛び越えて奈良市の元興寺に彷徨い出たというような、伝承を以前耳にしたことがある。
たしかに元興寺には鬼の伝承があった。
元興寺の鬼:元興神(がごぜ)
サイト記事には鬼と蘇我との関係を記した部分が見つからなかった。蘇我と鬼とを結び付けた別の秘史ないし稗史があるのかもしれない。
写真の瓦は一部に飛鳥時代の古瓦を使っているのがわかる。これは飛鳥寺の瓦と考えて良いのか、「元興寺の瓦」にはそこまで言い切ってはいないが、それに近いものと余は思って眺めていた。なんとなく、そのあたりに鬼の首が浮かんでいるような白昼夢を見た。
ある初秋、実に静かなたたずまいだった。
思い立ってJR奈良線に飛び乗りJR奈良まで小一時間かけてゆっくりたどり着いた。そこから東に向かって20分ほど歩いて、元興寺にたどりついた。その日の記録写真である。
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