小説木幡記:明治や大正や昭和の洋食
↑馬車道の勝烈庵(横浜)↑
真夏の真昼にとんかつは暑いだろう、胸焼けするだろう、と思って一度は通り過ぎたが、戻って中に入った。四角いとんかつが皿に載っていた、あっさりした定食だった。シジミの汁物がなかなかのお味だった。割烹着姿の青年数名が役割分担をして忙しく立ち働いていた。きびきびした動きは「清潔感」につながる。
いろいろあって、近頃は食に気を付けている。コンビニ弁当の揚げ物を筆頭に、油漬けみたいな洋物や中華物は用心深く対応している。食の神さんに手を合わしながら、大抵は半分しか口にしない。
といいながらも、ときどきケンタを油抜き(笑)しながらがっつりいただいたり、外出中に食事になると「洋食屋」にはいることがある。前者は好物で、後者は昔への郷愁からだ。余は昭和の戦後生まれだが、池波正太郎さんなどの文人が記した洋食屋は、少年期にはまだ主流だった。
ただ、洋食屋にとんかつがはいるかというと、分類に躊躇がまじった。明治大正風だとビフカツの方が似合っている。近頃のとんかつ屋は洋食屋に含まれるよりも、独立して「とんかつ」になっている。と、一知半解のことを考えていても結論はでないが、横浜は中華街があっても、それでも洋食屋がいまでも生きている街だと思った。エビフライなど食していると、なにか、文明開化の味がするではないか。
それにしても勝烈庵とは人目をひく店名だ。これが明治村にあってもまるで違和感はなかろう。牛鍋庵が横にあってもバランスがとれる。料理がちまちましていない。ダイナミックな、本当のカツレツを味わうために店がある。そんな印象だった。ケレンが無いと言えばわかろうか。雑念不要、ただ美味しいとんかつ。で、<しじみ・みそ・そっぷ(造語です)>が抜群のお味。
追伸
サイトを眺めたら、棟方志功画伯の絵ががーんと飛び出してきた。なるほど。
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