小説木幡記:難波宮からの二上山
↑二上山:大阪歴史博物館10Fから南東方向
大坂城のすぐそばに、大阪歴史博物館があって、そこの上階(10F)から東側の展望が開けている。左(北)から生駒山、二上山、葛城山と南へ続く。写真は二上山を少し望遠にして撮った(デジカメ)。
二上山は十代末のころより、奈良側からたびたび眺め、登ったこともあった。北側が雄岳で南が雌岳と呼ばれ、雄岳の東(奈良側)に大津皇子墓がある。考古学者の説では、本当の大津皇子墓は別のところという話もあるが、さておき、頂上近くに大津皇子墓があったという程度に、登山記憶している。
さて、余は纒向(まきむく)や三輪山や桜井へ行く時は奈良市から南行するが、この十年は高速道路が発達したこともあり、東大阪から入ることが多々ある。大体宇治市から古市の應神天皇陵までが50分程度の行程だから重宝している。
橿原あたりへ行くなら近畿自動車道を南下し、松原あたりで阪奈自動車道に入りさらに南下し、美原あたりで突如車頭を東に向けて南阪奈道路を奈良に向かってつき進む。この時、太子、つまり聖徳太子さんの墓所を左にながめ、眼前には雄岳と雌岳とが迫ってくる。道は往時の竹之内街道によりそって大和国中(くんなか)に入っていく~。
で、現在。
大坂城の真南直下に難波宮遺跡がある。その道を挟んだ北に大阪歴史博物館があって、その10階から大阪の東部を一望できる。
実に良い景色であった。
写真の二上山は往古には(古代~ビルの無い時代)難波宮から一望できたと気付いたわけである。大阪府民や市民には常識であっても、地図を見ているだけではなかなか実感が湧かない。聖徳太子さんが眠っておられる磯長谷(しながだに)あたりからみた二上山は身にせまって圧巻だが、こうして遠く難波宮からも二上山がくっきりと見えることに、感動を得た。
難波宮(なにわのみや)の歴史は、別途勉強しなければならぬが、同行Jo翁の話では飛鳥の宮に対して、副都(陪都)の位置付けがあったとのこと。また帰宅後に高城修三(たき・しゅうぞう)さんの『神々と天皇の宮都をたどる』を見たところでは、仁徳天皇の高津宮は大坂城あたり、孝徳天皇の長柄・豊碕宮は難波宮跡の古層、そして聖武天皇時代の難波宮への気配り(一時は遷都の詔がでた)、と。歴史が厚い。
その難波宮跡から特徴的な二上山がまざまざと見えることに、現地へ訪れることの大切さを味わった。
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