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2012年10月12日 (金)

小説木幡記:僕がノーベル文学賞をもらったら、あるいはもらえそうになったなら

 僕がノーベル文学賞をもらったり、もらえそうになったなら、~。と、男子成人たるもの日頃から何事がおこっても、心に備えをもち、うろたえないように気持ちをしっかり保持しておるわけです(笑)。

1.ノーベル文学賞の受賞をお断りするかもしれません
 そのときのセリフは、
 「もし我が国の文化勲章をいただけるなら、それは貴重な祖国の血税によってまかなわれた賞金や年金ですので、お断りするのは父母の大恩にツバをはくような悪行です。しかし異国のノーベル賞は、よくわかりませんが、ダイナマイトで儲け、ある時は殺傷武器として世界に普及し、それでもって基金ができたような賞は、客観性を持った科学諸賞ならいざしらず、流行に過ぎない一介の文士風情として、文学賞は断じていただくわけにはまいりません」と、僕は朝日新聞社のインタビューに答えるだろうな、あはは。

2.義理と人情で万一受賞してしまったなら
 電話をしてきたのが恩師だったり、それを受け取ったのが身内で「はいはい」と、こたえてしまったなら、あとから「要りません」というのはいかにもガキのふるまいだわ、さ。
 しかたない、いただきましょう。
 しかし、一介の人格形成も普通ではない文士風情が、人類全体に作品以外でメッセージをだそうなんて、野暮な考えは棄てる。
 要するに、一生懸命に努力して、「名士」となることを避ける、逃げ回る、隠れる。
 それ以外に、営々と芸術してきた誇りを守り、いわゆる「晩節を汚さず」の方法はない。
 群れないこと、名士にならないこと、これこそが人の心に永遠性をもたらす文學の必須なり。

3.政治参加
 これは条件として文学を棄てたときのみ、許容できるな。
 芸術ってーのは、もともと発狂状態で普遍性をもたらすところがあって、そんな依り付の強い芸術家が、まさか卑弥呼時代じゃあるまいし、現代の複雑怪奇な国際政治とか国内政治に宰相として動けるわけがない。

 作家は、かしこぶらなくてよいよ。
 尊敬する評論家・小林秀雄先生ももうされておった。
 「作家は、馬鹿だ」と。
 馬鹿に国政や身近な政治をまかせたり、あるいは思想論調を語らせるのは、ほんまにばかばかしいこっちゃ。
 まあ、そんな安酒でも、進歩的文化人がよっぱらって楽しむなら、少々は許しましょう。
 もう、サルトルもスターリンも毛沢東も故人だから、連中がたまには供養するのを、止めはせぬ。
 でも、僕はそんなことはしないよ、うむ。 
 安酒も時にはよいし、時には愛国暴動もゆるされるなら、恥を忍んで手ぬぐいで覆面していっちょ暴れるのも一興だが、もともと下戸なもんで、二日酔いは想像するに怖い~。

*.そういうわけでやっぱり辞退がよいな
 もし受賞しても、さかのぼって、過去を悔悛して土下座してでも、お返しするのもよいな。
 僕は穏やかな余生を望むなり。
 諸氏は如何に?

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