小説木幡記:生命兆候・生きてるか・バイタルサイン
物好きな人はいつも沢山おるが、スマホ(iPhone)を触っていてふと考えた。自分のバイタルサイン(体温や呼吸数や血圧や心拍数など~つまり生きている証)を常時、ネットで自動公開する連中がでてきたらおもろいな。ツイッターとか顔本とかはそういうたぐいのものだろうから、いちいち書かなくても、血圧が急激にあがったら「わいは、おこっとるんやぁ~」とか、血液中の中性脂肪が急激に増加したら「いま、焼肉たべとるで」とか、血中アルコール濃度が急上昇したら、一気のみしてるとか、全世界の者に瞬時につたわるじゃないか。
おもろい。
しかし、余は絶対にしない。
もしそんなこと(自動公開バイタルサイン)をしたらなら、常時「お前はもう死んでおる(医療世界の平均値とは常にかけ離れておるから)」状態だから、いたずらに親友知人を驚かせて、申し訳ないことになる。
~
昨日とろとろと眠っておったら、関東のふうてん爺さんから電話があった。ところが、iPhone5の電話受付画面が急に拡大して、受話ボタンが画面圏外にはみ出して、なんとしても受話出来なかった。やむをえず、ほうほうのていでiPhone5を一旦オフにして(これも相当に難儀やった。ソフト的処理に頼りすぎるiPhone5の強烈な弱点よな)、再起動したら画面が普通になって、かけ直した。
で、そこまで艱難辛苦のはてに電話した内容は、「センセ、このごろMuBlogがおまへんな。一週間、記事がないで」と、余の生死を心配してくれての電話やった。
ありがたいこっちゃ。
要するにMuBlogは、余の公開バイタルサインであったと、痛切に知ったわけだ。
ということで、これからは死なない噂の範囲で、ときどき記事をがんばろう~。
注記
このごろ記事が少ないのは、心身が昔ほどタフではなくなったのと、人生観が変わってきたせいかな。
たとえば、毎週大河ドラマを見る義理はNHKにいささかも無くて、それをしなくなったら、とても心が軽くなった。
ずっと毎日一冊文庫ミステリをよんでおるが(もう今年、200冊以上)、いくらおもしろくっても、それを記事にする義理は作家や出版社に対して無い。感想文を書かなくなって、読書速度があがった。これは映画、DVDも同じ。
要するに。
人の事をあれこれ記事にせず、自分の人生を謳歌しよう、楽しもうと思った途端に、MuBlog記事の大半が不要になった、そういうわけ。人の作品や噂や世相をネタにして記事を書くのが、ものすごく馬鹿馬鹿しくおもえてきたわけ!
ただし、ノリもあるから、こんごどうなるかは、予断を許さぬ余の余生じゃわい(笑)。
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