小説木幡記:iPs細胞とノーベル賞
↑復元・安土城天守(滋賀県近江八幡市安土町)
光の使い方が上手なのか、織田信長がしばらく住んだと思われる安土城の最上階居室は妖艶だった。こういうところに寝起きする人の感性は普通とは違うと思ったが、しかし他方、神社の祭殿に住んでいるような方も歴史にはあったから、一般人の考えであれこれ思いをのべても、暖簾に腕押すような気持ちになってしまう。ともかく、この部屋を見ていて、信長が現代に生きていたらと想像してしまった。
ノーベル賞もいろいろ部門があるが、iPs細胞理論のように明確な受賞は「うれしく」なる。他にうさんくさい賞も二つ、三つあるが、今回のiPs細胞のもろもろは、迷わず肯けた。実は他のしっかりした科学部門も、余には価値が分からない(難しくて)ものもあって、「そうですか、よかったですね」で、すませてきたものもおおい。ましていわんや、文学賞や平和賞にいたっては~言わぬが花か、うむふむ。
ところで将来、再生医療が本格的に新たな段階に入ると、創薬成果の加速もふくめて、ヒトがますます長命になっていく。とすると、社会制度も未来を見越して、少子化と長命化とのバランスを考えていく必要が生じる。その際、全人教育が社会基本構造の鍵になるだろう。
明治以来、教育は「ヒトらしくなる」ためのものよりも、産業構造に組み込むための方策が盛んだった。ひとことふたことではいえないが、いまでも諦念(定年と入力しても、すぐ諦念と変換されるぞ(笑))の60代になっても、その後20年近く生きる人が多くなった。それにヒトの気持ちや社会構造がきっちり対応しているかというと、お寒い限りなり。産業予備軍として若年教育された大多数が、産業構造からはじき出されたあと、どう生きるのか? 実情はいたずらに精神的な「生きる屍」を増化させ、老年鬱自殺や、老害、不良老人が増化するばかりなり。
~
と、理想ではなくて、切実な生涯教育(生まれてから120歳まで)を考えていこう。長命人生を巧言令色でまぶしてもしかたない。要するに、無理矢理に生かされる世界になってしまう。うまく考え工夫すれば人生が輝くが、失敗すると心的に餓死する。餓死の美学を唱える前に、なんとかしなくては。あはは。
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