小説木幡記:東京駅とステーションホテル
余の好む物を公開しても世の中に影響はないので、気楽にメモって置く。
なんといっても「駅」だな。大都市だけでなく、ひなびた秘境のようなところでも、まず駅をさがす。もちろん国鉄ばかりではなく、私鉄でもなんでも、駅をさがしてそこへ行く。昔風の中小都市だと、駅があって近くに丘があって県庁や市町舎があって、そしてお城がある。
駅はよいな。
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そこで東京駅の皇居側(丸の内)が2012年10月1日にお披露目されるらしい。胸がうずく。東京まではなにかと旅費もかかるので、しかたなくその日は大好物の京都駅に行くつもりだ(笑:人は代替措置を考えて心のバランスを取る)。
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駅の次に好きなのは、比較的上等なシティーホテルである。これは小ぎれいなトイレとソファー付の無料公園のような使い方をしてきた。それに結構値が張るが珈琲をのむことも多かった。後者は主に「空いているから」が理由だった。珈琲は市内の2倍、自宅の10倍の料金だが、それでも人が少ないのが実によい。
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ただしかし泊まるときには。
西欧式旅籠とは言っても、今度の東京ステーションホテルは格がちがうな。という趣だ。お安くはないが、こういうホテルにきやすく泊まれる人は、ちょっと羨ましい。ただ。関西在住の知り合い達の顔を思い浮かべると、ちょっと事前に腹立たしくなる。おそらく数名は、「Muさん、今度のステーションホテルはまずまずですよ」とか「おや、Mu先生はまだお使いじゃないですか。今度関東に行かれるときは、ぜひお奨めしますよ」とか、最悪は「うひひ、センセ、もうとまりましたで」とほくそ笑む若い(もう若くないな)研究者の顔を思い出すと、はらだたしい(笑)。
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ところで旅の少ない余にとってはホテルや和風旅籠は日常を離れた異空間である。たまに機会があると旅愁を十分味わおうと思うのだが、シャワーをあびて一休みしていると、味わう暇もなく朝になってしまう。くさまくら、旅にしあれば、椎の葉にもる朝食も、しっかりいただけるから、良い物だ。しかしホテルの一室を借り切ってずっと老ゆるまでホテル生活するのは、ちょっとな。
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ともかく10月。
東京駅丸の内駅舎の復元開業にたどり着ける人達よ、幸なり。
(おそらく、免震・耐震能力も先端の建物なのだろう)
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