« 小説木幡記:ちょっとぼんやり博物館 | トップページ | NHK平清盛(35)わが都、福原:波乱の頼盛 »

2012年9月 8日 (土)

瀧原宮(1)JR滝原駅

Muimg_8665
JR三瀬谷方面(伊勢市や松阪方面)↑

 道慣れない所へ行くには大抵電車や汽車の駅か、あるいは中規模以上の都市ならお城や県市町庁所在地と決めている。なんとかそこへたどり着けば、初めての所も、昔行ったところも、迷いがなくなる。しかし滝原の場合は、JR滝原駅も重宝だが、明確に「瀧原宮(たきはらのみや)」として地図で探し、人に聞けば、すぐわかる。これが奈良や京都だと、単純に「お宮さん」とか「お寺さん」と言っても通じない。

Mujrtakihara
紀勢線時刻表 ←松阪・名古屋 尾鷲・新宮→ と普通運賃表

 JR滝原は、時刻表を上手に使うと伊勢市駅から1000円前後の乗車賃と、1時間強でたどり着くが、写真で見れば分かるが平均1時間に1本と思うのは間違いで、まるで空白時間帯が多い。往年の松本清張先生ならミステリが一冊書けそうな時刻表だ。車だと伊勢の神宮からは距離にして40Km前後で高速道路だと40分くらいで着く。ともかく宮川上流の支流・大内山川畔で、山また山の深山で、旅慣れないと不安になる。近郊電車並の新幹線に乗り慣れていると泡を吹く。
 滝原駅は無人だが、ときどきスピーカーから列車延着のアナウンスが流れてきた。

Mudsc00477
瀧原宮の御由緒

 これからお参りする瀧原宮は、伊勢の皇大神宮(こうたいじんぐう・内宮)の別宮でその社格は極めて高い。大神の遙宮(とおのみや)とも呼ばれ現在の内宮からは宮川をさかのぼり約40kmも西に位置する。
 古事記には記しがなく、日本書紀には垂仁天皇二十五年三月に天照大神をトヨスキイリヒメ命(みこと)から、倭姫命に託し、倭姫命が(おそらく鏡を奉戴)各地を回って、ようやく伊勢の五十鈴川のほとりに大神を鎮めたという記事がある。ここに倭姫命の兄は後の景行天皇であり、景行天皇の皇子がヤマトタケルという背景がある。そして、瀧原宮については、日本書紀に記述がない。

 瀧原宮の歴史的記事の初出はおそらく皇大神宮儀式帳と思われる(初出については後日に精査してみる)。
 また中世の作といわれる宗教書『倭姫命世記』(岩波の日本思想大系『中世神道論』)には、倭姫命の巡幸中「大河の滝原の国」に聖地をみつけたのでそこの草刈をして、宮造りをしたとあった。これは奈良時代の記録とあるが、大方は中世の物と判じている。

 このトヨスキイリヒメ命や倭姫命の、天照大神をともなって各地を巡幸したことで、元伊勢という神社が多数残っている。大物主神や天照大神についての詳細は崇神紀や垂仁紀にあるが、昔のことなのでよく分からず、私にとっても解けない謎が多い。
 なぜ大物主神と皇祖神である天照大神は同殿共床がかなわなかったのか。なぜ皇祖神が三輪山から離れて各地を歩き、伊勢に行かれたのか。この間、伝説では五十年間経過している。

 そして、この豊鋤入姫や倭姫は斎宮の齋王の始まりと考えられている。
 また、こうして記紀に所載なく、なぜに私が遙宮・瀧原宮を重く考えるかは、実際にお参りしながら理由を考えて見る。


大きな地図で見る

|

« 小説木幡記:ちょっとぼんやり博物館 | トップページ | NHK平清盛(35)わが都、福原:波乱の頼盛 »

2012夏・伊勢路」カテゴリの記事

コメント

写真抜群にいいです

 深い森に向かう線路、行きどまりの線路もあります。何故か感動する写真でした。

 彷徨の旅路、アマテラスさんは行くあても無く彷徨われた。雄略さんの頃とも、継体天皇の頃とも、天武さんの頃とも色んな説ががありますが、最終的にお伊勢さんに到着された。

 ひょっとすると、お伊勢さんも仮のお姿かも知れない、何時かは皇居にお帰りになるかも知れない。

 その時は、天叢雲剣も鏡も戻るかも知れない。

 滝原は多分、「多気」でしょうね、多気比売神社、多気坂本神社、多気十二柱神社、多気山神社、多気町の丹生神社、広島・松江の多気神社・・・・・・・、この多気=タキ 琉球のウタキ= ウ嶽という巫女女王達が祭りをする神聖な場所、神が降臨する場所でしょうね。

投稿: jo | 2012年9月10日 (月) 13時44分

Joさん
 ちょっと数日後に返信いたしますです。
 Jo記事が少し重すぎて考える時間が欲しいというわけです。

投稿: Mu→Jo | 2012年9月10日 (月) 22時20分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 瀧原宮(1)JR滝原駅:

» 瀧原宮(2)浄めと参道 [MuBlog]
承前:瀧原宮(1)JR滝原駅 天然の御手洗(みたらし)場  内宮・五十鈴川にある御手洗と結構は似ているが、瀧原宮のそれは小振りで原始的な雰囲気がある。神道史の変遷を学ばねば正確には言えないが、一般に「古神道」の雰囲気が極めて、実に濃厚だった。出雲とは異なり、また御本家・正宮とも異なり、皇大神宮別宮であるにもかかわらず、いやあえて別宮として残った故は、この気分の濃密さ、おそらく岩清水が間近に流れ、深... [続きを読む]

受信: 2012年9月20日 (木) 07時46分

« 小説木幡記:ちょっとぼんやり博物館 | トップページ | NHK平清盛(35)わが都、福原:波乱の頼盛 »