景行天皇皇子・日本武尊・能褒野墓
承前:古市の白鳥陵
承前:伊吹山紀行:倭建命・ヤマトタケルノミコト幻視行
↑宮内庁書陵部扱いの、日本武尊能褒野墓(ヤマトタケルノミコト ノボノ ハカ)
昔の天皇陵や皇子墓を定めるのは紆余曲折があって、後世の私らがお参りしようとしてもなかなか行き先が難しい。この能褒野墓には昭和40年代半ばに、国鉄亀山駅で下車し、そこからバスに乗って、長明寺近くで降りてお参りした記憶がある。ヤマトタケルノミコトについては、私が若年時から深い愛着や興味を抱いてきた古代の人である。いや、人と呼んでよいのかどうかは分からない。神から人へ下降する過渡期の英雄だったのだろう。
そこで研究者の説をながめても、日本武尊の最初の墓は、この能褒野王塚古墳と考えて良いようだ。現地や写真ではまるで想像つかないが、大きな前方後円墳と言われている。ところで古市の白鳥陵は墓ではなくて陵あつかいだが、能褒野は墓となっていた。この呼称は宮内庁の考えだから、事情はよくわからないが、記紀では日本武尊・倭建命は、皇子であっても「御陵(みささぎ)」「白鳥陵」だから、いつか細かく考えておこう。古市は白鳥墓よりも白鳥陵の方が、イメージがくっきりする。要するに、日本武尊としては「墓」だが、日本書紀にある「白鳥陵」としては「陵」なのだろう、か、……。
↑左が墓への参道。能褒野神社が日本武尊墓の北にあり、鳥居のままに過ぎると神社に至る。
日本武尊・倭建命ほどの英雄にして、お墓も神社も寂れていた。
ただしかし、旧宮内省、宮内庁が墓守をし続けることによって、少なくとも天皇位にあった方の墓は近代以降守られてきた。永代供養は仏教的な考えで、神道としては祭られている神さんに日々斎き祈り、周辺を清浄にたもつことが神道的な方法論なのだろう。もちろん前方後円墳の被葬者を神さんと考えるのは話が錯綜する。神社はお墓ではない。神さんが祭られているところである。
一般に墓を作ることと、それをずっと守ることは、後者の方が難しい。その難しいことを営々とできることが文化・文明の栄えた國だと考えた。というわけで、能褒野墓と記されていることこそ、日本が文明国の証だと思った。
↑お供え物は持ち帰ってくださいとの表示。ヤマトタケルはいまだに神話と歴史の人気が高いのだろう
寂れて、参道すら道に迷いかねない雰囲気だったが、それでも宮内庁がお供え物に難渋している様子がわかり、苦笑いした。つまり、この墓にお参りしてなにかとお供えしていくひとが多いのだろう。想像なので実情はわからないが、ご近所の方々よりも、私のように遠隔からヤマトタケルノミコトを偲んで立ち寄った方の寄進だと思った。しかし、これが神社で神主さんがおれば、「ご嘉納」されもしようが、墓守・衛士も居ぬお墓では朽ち果てて塵芥になるだけだから、「訪ねた、参った、心」だけのことにした方が、現代日本風だと思った。三輪の大神神社境内では、生タマゴがお供えしてあるが、あれは大きな社だから、なにかと鷹揚に受け容れられるのだろう(笑)。
↑参道近くの石組、↑能褒野墓前から東(駐車場方向)、↑墓前から西
夏草で鬱蒼とした参道に組石があって水が流れていた。いつのものかはわからない。「のぼのの森公園」ができたころに庭園の一部としてつくられたのか、と思った。おそらく絵地図に「白鳥の泉」と記されたものだろう。
墓から降りたって左右を眺めたら、桜井市巻向の箸墓の側を通る道で丁度くびれ部あたりの風景を思い出した。前方後円墳の側道は大抵カーブしているものだから、ここもそうなのかもしれない。どうかな?
↑能褒野墓から南西を眺めた
それにしても、広々とした風景の中に、能褒野墓はあった。21世紀になってもいまだに見通しが良い。と、亀山市はそれだけ田園地帯なのだろう。此の地に、桜井市穴師の景行天皇・日代宮(ひしろのみや)から訪れた皇子の墓を定めた気持ちは、どこにあったのだろう。いや、現代宮内庁のことではなくて、記紀を記した当時、あるいは神話伝承の生まれた時代、なぜこのあたりに客死した皇子の墓を作ったのだろうか。ヤマトタケルノミコトを集合英雄伝説と考える人なら、墓の存在は限りなく嘘に近いが、しかし実在の皇子とするなら、墓があってもおかしくはない。なぜ、この地だったのか。
ヤマトタケルノミコトは、私にとってなお彼方の幻に近い。この墓参で、幻を追って半世紀近くも過ぎたことに気付いた。
*周辺の環境:のぼのの森公園とGoogle地図写真
↑絵図右下の「現在地」「P」が、↓地図写真の右下にあたる。
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参考図書
戴冠詩人の御一人者/保田與重郎.(新学社・保田與重郎文庫; 3)
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