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2012年8月13日 (月)

古市の白鳥陵

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↑古市の白鳥陵

* 近くなった古市
 過日、羽曳野市・古市(はびきのし・ふるいち)へ行った。高速道路が整備されたので、宇治から正確に1時間で到着した。あっけないくらいに近くなった。てっきり2時間かかると思っていた。古市駅の東に白鳥神社があって、そのそばの手頃な駐車場に愛車RSを駐めた。近鉄古市駅で入場券を買って、ホームの冷房待合室で同行者を待った。打合せもないのに、向こうで私を見つけてくれた。

 気持ちのうえではこの紀行は息吹山「それからのヤマトタケル」となる。記紀によれば、日本武尊(倭建命)は息吹山で神に言挙げし霊気に撃たれ三重県亀山市の能褒野(のぼの)で亡くなった。日本書紀ではその後白鳥となって天翔り、大和の琴弾原(ことびきはら)に舞い降り、そこにも白鳥陵をつくり、再度空に憧れ古市にまで飛び、衣装だけを残して空に溶けていった。という神話がある。
 私はこの日、畏友Joさんと古市の白鳥陵に参った。

Byamatotakeru↑三重県亀山市能褒野→奈良県御所市冨田→大阪府藤井寺市津堂&羽曳野市古市

* 藤井寺市の「まほらしろやま」
 森浩一によれば、古市の白鳥陵と日本書紀に記されている墓は、藤井寺市の津堂城山(つどう・しろやま)古墳ではないかとなる。日本武尊が4世紀ころの皇子ならば、古墳の古さから見て、現・白鳥陵(古市)は5世紀頃のものだから時代が合わないとのことだった。
 同書によれば、日本武尊の最初の墓は、三重県亀山市の能褒野王塚古墳(白鳥神社)で、他をしらべてみると二つ目は奈良県御所市冨田の「日本武尊琴引原墓」であろうか。
 
 津堂城山古墳の位置は、下部地図の北辺で「まほらしろやま」と記された資料館近くである。

* 五色塚古墳(神戸市垂水区)との縁
 余談になるが森浩一によれば、日本武尊の息子にあたる仲哀天皇の山陵(御陵)は兵庫県の五色塚古墳と想定されている。この五色塚についてはMuBlogに写真記事を残した。この陵を造ったのは日本武尊の孫にあたる忍熊王(おしくまのみこ)で、忍熊王は五色塚(父・仲哀天皇陵)を造って後に、自分の勢力範囲である河内に祖父・日本武尊の墓を同一規模で造ったと記していた。意外なつながりに私は驚いた。


大きな地図で見る

* 白鳥陵か白鳥墓か
 陵墓という言葉があって、記紀の時代には陵は天皇陵に限定された用語だったらしい。日本武尊は記紀系譜では天皇ではなかったので「墓」と記した方が規則には従うことになろうが、実際には宮内庁書陵部の記述では「景行天皇皇子日本武尊白鳥陵」となっている。現代皇室典範では別の細則があるようだが、日本武尊(倭建命)は4世紀ころの昔の人のことだから、昔の規則が似合っていようが、実は『常陸国風土記』では倭武天皇とあるので、「天皇」というか大王だった可能性もある。これは、応神天皇皇子で仁徳天皇の弟・ウジノワキイラツコが宇治天皇と噂されているのと同根で、系譜の並列可能性もある。

 なによりも、亡くなったのが三重県亀山市の能褒野だから、常識的には能褒野に祭られたと考えておけばよかろう。してみると、琴引原墓や古市の白鳥陵は分骨された墓と理屈の上では考えてもよいだろうが、分骨という考え方と古神道と原始仏教とを考え出すと、事情が分からなくなるので、止めておくことにした。そしてまた陵墓、古墳と言われるほどの大規模墓を幾つも持っておられる方は、日本武尊以外におられたかどうか、……。

 ちなみに能褒野王塚古墳は全長90mクラスの前方後円墳、琴引墓は不明、津堂城山古墳は全長208mの前方後円墳、古市の白鳥陵は200mの前方後円墳である。もしも日本武尊が実在なら(そう考えている)、三重県の能褒野王塚古墳に最初祭られ、孫の忍熊王が実力を持ち出した頃、河内に追悼正陵を築造したのだろう。後者は森浩一の説に従い、津堂城山古墳がそれに該当すると考えた。だから、日本武尊は特殊なご生涯(非命の最期)から、陵を巨大前方後円墳として二つ持たれたのだろう。

* 古市白鳥陵写真集

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参考資料
  天皇陵古墳への招待/森浩一.筑摩選書、2011.08
  百舌鳥・古市の陵墓古墳:巨大前方後円墳の実像/近つ飛鳥博物館. 2011.10
  古市古墳群を歩く/JoBlog

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