小説木幡記:背ごしと敗戦記念日
↑鮎の背ごし
昭和20年8月15日に我らが父祖が戦った大東亜戦争は「敗戦」として終結し、日本國は占領された。
敗戦だったから、戦勝国およびその関連国の日本に対する追求は激しかった。今となっては、相前後して常軌を逸した責め苦もあった。
それから今年は67回目の8月15日を迎えた。
日本國の敗戦は世界史の中ではあと数十年で忘れ去られよう。世界中で植民地が解放され、原爆が初めて民衆に落とされたほどの記録は残る。日本史では、あと1000年は人々の記憶の中に残るだろう。古き京都では応仁の乱の傷跡も残るくらいだし、余も白村江での敗戦は昨日のことのようだ。だから、大東亜戦争の敗戦は1000年ものとなる。
その間、近隣諸国の敗戦国日本への侮蔑や訴追や差別はずっと残るだろう。恐ろしいことだが、敗戦とは千年の傷を残す。これからもずっと我が国の大使館や大使は異邦でろくな扱いを受けないだろう。それなりの待遇をもし表面的に得たとするなら、それはドルか円で叩き買ったものでしかない、嗚呼。
少なくとも敗戦後70年近く経っても、日本國はまともな憲法や国軍をもつことができない。
今やそれを往時の米帝(笑)や中ソのせいにしてもしかたない。戦後20年間ほどは外圧が強くありすぎて、仕方なかったも言えるが、半世紀以上すぎても、国軍がなくて国境を十全に守護できない世界を選んできたのは、わが同朋達である。
民主主義というよりも、眼前の千円に狂喜する衆愚政治の蔓延であり、やがて亡国の道を歩む。
亡国の辛さは余も体験しないが、想像はできる。
日本國という小さな国はすててもよいと、世界を飛び回るのは、世界各地にしっかりした国があるから出来るにすぎない。要するに人のふんどしですもうをとるような考え方じゃ。
と、敗戦日に鮎の背ごし写真を眺めて、つらつら思った。
それにしても70年以前の日本を懺悔する人のいまだ多いことよ。そして、まともじゃなかった日本がまともじゃなかった世界を相手に戦い負けたという事実を、まともに清明に考えない人が多すぎる、いまだに。
来年も、きっとそうだろう(邪笑)
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