小説木幡記:池の鯉
↑雨に遊ぶ後楽園の錦鯉
池の鯉は雨が降っても傘がいらないと想像して、にやりとしてきた。
溺れかけたなら、息をつめて潜ればよいと思ったことがある。(実際には、それができないから溺れる)
剣聖・上泉信綱の言葉として、「沈みてこそ、浮かぶ瀬もあり」が、あるとか。
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今日はなにとはなく雲が多く、日照がおだやかだった。琉球や奄美大島に吹き荒れている嵐のせいかもしれない。もうすぐ9月だから、台風がつぎつぎと襲ってくる季節なのだ。必然的に、ここ数週間の壊滅的地獄の黙示録的な焦熱はうすらいでいくことだろう。
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京都というよりも、昔風の建築物は夏をしのげるように立てられていると聞く。京都や宇治は昔の寺社仏閣がそこここにあるから、散歩する機会もおおく、夏用の家、という趣きがよくわかる。大体四隅の柱を残して、すべて取っ払っても家が立っている。いや、夏は戸は上げるか、はずしてある。そして御簾というかすだれがあって、涼やかだ。座敷にはごてごてと物が置いてないので、視覚的にひんやりしてくる。不思議だ。
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そんなことを考え感じながら、今朝も極早朝から葛野に出向き、夏季論文をしこしことまとめていた。午後も遅くなると、もう頭も手も動かなくなる。今日はこれで終わりにしよう。
気分としては、8月中になんとかして、第一草稿を100枚程度こなし、それを9月半ばまでに70枚くらいに刈り込む予定なのだ。
あーあ、もう、論文夏季も飽きるよな(笑)。
またあした。
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