小説木幡記:石灯籠の役割や向きと光
↑冬雨に烟る後楽園の石灯籠
お庭や寺社仏閣でなにげなく眺めてきた石灯籠だが、気になり出すと庭を拝見する好奇心がうきうきとしてくる。
この写真にも、中央に石灯籠がひっそりと鎮まっていた。
まず石灯籠の役割だが。もちろん歴史の、時間の流れの中で変化していったことだろう。
人の歩行の安全を計って。
神さんや仏さんのため。
(神仏が夜目弱く、けつまずくとはおもわぬが、ガイド灯だな)
人が眺めるため。
庭のアクセント、装飾。
造園の基準点。
こうしてみてくると、まるで飛鳥・斉明天皇時代の、酒船石の役割を考え込むに似て、想像がふくらむ。後楽園の造園時代から想像すると、藩主・池田さんの趣味趣向、気持ちの癒しが大きいだろうから、庭のアクセントが大きな意味を持っていたはずだ。すると、石灯籠の向きは夜景が主になり、夜歩きの足元安全の意味は少なくなるだろう。だから、三日月や○窓位置は、どこから見ての向きが一番か、となるかもしれない。三日月に灯が点ると美しいというよりも、可愛らしく見えるものだ。
となると、光は何、つまり光源だな。水銀灯やLEDやガス灯は近現代のものだから、……。蝋燭と油灯と、どちらが先にあったのか? これも蝋燭史などを考え出すとさらにおもしろい。蛍を飼って光源にあてた事例はあるだろうか。庭には綺麗な水があるから蛍は生き生きするが、しかし火袋に閉じこめるのは無理がある。
江戸時代なら蝋燭もあったから、それでもよいが。
猫君が舐めるためには、油灯がよい。
夜な夜な石灯籠に灯を入れるのは誰の役目か。お女中か庭男か、御庭番なのか。明かりは防備の意味もあるから、警護の者が入れるのもあながち不自然ではない。
~
と、ここまで後楽園の石灯籠を考えてきて、ふと酒船石を思った。
あの石模様に油を入れて、灯をともすと、神に降りていただく磐座(いわくら)として最善最良の様式となろうな、という考えだ。
さて、どうなんだろう。
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