小説木幡記:お城が借景
↑後楽園と岡山城(金烏城)
庭に足を踏み入れてしばらく歩きふとみあげてみると黒い城が見えた。姫路城は白で、岡山城は黒だった。あとで金烏城とよばれていることに気がついたが、神武天皇をガイドした烏を思い出した。黒だから烏城「うじょう」で、金のしゃちほこだから併せて金烏城のようだ。昔、岡山大に勤めていた方が、ただ「うじょう」と呼んでいたのを思い出した。
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後楽園にはおだやかな起伏があるが、岡山市が盆地ではないから山影がなかった(ように記憶する)。余がひごろ遊ぶ京都、奈良、滋賀は必ずまわりに山が見えている。だからなにか建物や庭があっても、遠近の山とセットにして眺める習慣が付いていた。それを余は単純に借景とつぶやいているが、もちろん高名で巧妙な庭師のなかには、借景と言うのを嫌う人もいるにはいる。強いて申せば逆借景となろうか。庭があって自然があって、遠くに庭を飾るような山がみえる~と。ふふふ、どちらにしても景観全体の中での人や建物や庭だから、順逆とわず現代庭は自然を模したものが多い。(ここでは、江戸時代も中世も現代というておる)
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と、自然を模したのではなくて、自然そのものの一部を人の目で切り取った、いやいや、借りて庭にしているものもある~というわけで、理屈は理屈。ふと目を上に向けると黒い城があった。これは実に良いです(笑)。
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重ねて言うが、この目に見えるばかりの広々とした庭を、散策できるのが良い。庭は眺めるものと思うひともおるが、眺めて佳、歩いて佳、寝転んで佳、といろいろあって気分が落ち着いてくる。歩くな、とか、寝転ぶな、食べるな、とか「~なに、なに、するな!」というのは、実に人性に反した考え方じゃ。
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