小説木幡記:お餅と黒糖きな粉、長生きの証
↑平野屋のお菓子
鮎をいただくまえに、玉露~濃いお茶と黒糖きな粉餅が座卓に寄せられた。なかなか鮎への道のりは遠い。お餅はねじってあった。
この、黒糖きな粉餅は大好物にはいる。
というのも、一時期山中に単身赴任していたころ、朝食はずっと黒糖きな粉餅だった。小鍋に水をいれてそこに切り餅を二つ投げ入れ火をつける。他方、深皿に粉黒糖ときな粉をいれて、混ぜることもなく、餅の沸騰を待つ。沸騰したなら火をとめて、切り餅を深皿に移す。数分待つと、餅が湯から移った地熱で軟らかくなって、濃い煎茶と良く合う。
これが余の過ぎし日、もう20年にもなる昔の単身朝食だった。
識者にもらしたところ、黒糖もきな粉も長生きの秘訣だ、と栄養学的な講釈を得た。今も長生きしておるのは、その時の一年間の御蔭なのかもしれない。
追伸
その頃の三食&おやつを思い出してみる。
朝食は黒糖きな粉もちで、次に、
職場にいくと自販機で牛乳をかった。それを朝にいただいた。これは先輩の指導からである。「牛乳と野菜ジュースを飲んでいたら、病気をしない」とのことだった。それが日々のおやつだった。
昼食は職場食堂の比較的上等なランチだった。当時も800円程度したから、いまだと1000円程度の高級ランチだった。ご飯や野菜や肉魚があって、いわゆるお弁当にありがちな揚げ物は少なかった。ということで、食後の珈琲。
夕食は具を毎日変えて、方法は同じだった。
朝の出がけに鍋に出し昆布と水を入れておく。帰宅したなら、そこにキャベツやタマネギや野菜をほとんどは手で掴み切って投げ入れる。
そこで具は豚、肉、魚1、魚2、鶏と日々変わった。
煮立った頃に、巨大なおろしボンズ瓶から深皿にどぼどぼとポン酢を注いで、そのまま小鍋のまま食べていた。
魚1と2に分けるのは、淡泊な白身魚と、それ以外のものだ。
こんな様子であきもせずに毎日せっせと食べて居たが、そのとき感じたのは余自身の真の食性だった。要するに黒糖きな粉餅と、鍋物のおろしポン酢があれば、何年でも「うまうま」と味わいつつ長生きできるということだな。
さて夏鮎はそろそろだ。
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