NHK平清盛(32)百日の太政大臣:出世双六
承前:NHK平清盛(31)伊豆の流人:源頼朝
NHK大河ドラマ公式あらすじ
今回は平清盛の出世双六でした。
摂政、太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、大納言。
この階梯を摂政関白太政大臣の家系(と言った方がわかりやすい)である藤原家以外のものが手にするというのは、なるほど未曾有のことだったのでしょう。
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途中で、何もかもが後白河上皇が画策した流れで、その掌(たのごころ)の上で清盛が躍っていたという種明かしのような、あるいは後白河上皇と清盛とのあいだの近親憎悪のような、ややこしい裏舞台も披露されました。
本当のところは、後白河法皇が清盛という日宋貿易の達人を金づるとしたかったのが一因で、かつまた物語のうえでは、二人の若い頃からの因縁があるわけです。
要するにライバルです。
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これに続いて平家一門がつぎつぎと位階をあげていきます。当時の朝廷ではそれが流行だったのでしょう。おそらく清盛が実力者、リアリストであって、理想と資金とを同時に提供できる傑物だったのでしょう。なんとなく、ふと、むかしの「よっしゃ、よっしゃ、おじさん」を思い出しておりました(笑)。
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ところで、伊豆の源頼朝ですが、解説では14歳で蛭ガ小島に幽閉されて、その後20年間も逼塞していたというのですから、すさまじい話です。そしてまた、いわゆる貴種でしたから、女性にもてたのでしょうね。後の義経も、奥州でひきもきらず地元の娘さんから求められたという話を、司馬遼太郎さんの『義経』でよんだことがありました。腹違いの兄・頼朝も、そうだったのかもしれません。監視役の伊東祐親(いとう・すけちか)は平家に忠義立てして、娘が産んだ頼朝の子を殺してしまいました。後の北条政子との恋愛事件には、父親の北条時政が娘に肩入れし、後日北条の天下が長くつづきました。女性がからむ不思議な歴史因縁です。
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清盛は、剽軽に描かれておりました。そういう部分があったのではないでしょうか。後世の太閤秀吉が幾分お笑いじみた面もあったように。そしてまた、20年間も逼塞し、ちゃっかり女性とだけは仲良くした頼朝が、30を越えてから幕府を開設するのは、頼朝自身の非常に深い才能を示しています。頼朝のことも、考えるとその後半生に感心するわけです。
頼朝の深い才能については、保田先生の木曾冠者で蒙を啓かれました。つまり、頼朝は「歴史の転換期に天が下した人だった」と。このドラマでも、やがてその片鱗をみられるかもしれないです。明るい清盛に対して頼朝が、どんな風にドラマの中盤以降をまとめていくのか? それと、これまでにない北条政子もたのしみです。
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