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2012年7月 4日 (水)

小説木幡記:落柿舎のたたずまい

Muimg_7836落柿舎
Muimg_7839 こんな様子の庵があって、江戸時代の向井去来が本宅なのか別荘なのか住まいして、そこに芭蕉がふらりと訪れ『嵯峨日記』を記した、そんな幻視。

 去来の落柿舎がこの地、この庵とは限らないが、江戸時代のことだからおおよそこの近くだったのだろう。西行の庵址も近所にあるから、風雅を慕って去来が嵯峨野に住んでいた。芭蕉は近江好きの俳人だったから、なんとなく前後して義仲寺、山中の幻住庵、都会の難波と往復していたのだろう、そのいつかどこかの日々に、落柿舎に立ち寄った。
 勿論芭蕉は著名人だから、その年譜も完全な物ができているが、わざわざそれを紐解くのは野暮というものだ。そういう意味で、研究者というのは大抵野暮の骨頂、野暮天の集まりだね(笑)。

 そこで記憶のかぎり、現代・落柿舎の前(南側)はずっと広い田んぼのままだった。高校生頃からの記憶があるから、風致地区にしても珍しいことだ。おそらく公的な土地になっているのだろう~と、それをしらべて記すのも洒落にならぬ。

 落柿舎の前庭から、庵の奥を眺めてみた。
 不意に部屋が明かりひとつになって、18の青年が70代の老翁と60代の婦人の世話をうけ、鍋をつついていた。湯葉料理だった。カシワか豚も鍋に浮いていた。ボンズおろしで「うまうま、ふうふう」と、晩秋だった。

「君の名前をまだきいていないな」
「はい、名前をわすれました」

 と、そばの婦人が湯葉をあげて、私のとりざらにいれてくれた。
「あなたはみるからに文学青年ね。私の若い頃は父にぶたれるので、押し入れに隠れて小説を読んでいましたわ」
「はあ、小説を読むのが悪だったんですか」
「そのようだ。君は好きなだけ本を読める。よい時代だ」
「そうでもないです。いま、大学浪人していますから~」
「それなら、気晴らしに、君を大津の義仲寺に案内してあげよう」
「お知り合いでも?」
「いや、なに」
 と、当時の落柿舎庵主の工藤さんは微笑んだ。

 それも幻視、気がつくと青年は昔日の余だった。
 いま、落柿舎の畳部屋に上がるわけにはいかなかった。

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