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2012年7月17日 (火)

小説木幡記:近江のたねや

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↑近江八幡市「たねや」(ひむれ・日牟禮茶屋)の店先

 近くだから、というよりも景色がよいから近江にはよく出かける。行き先にはっきりしたあてがあるとは限らない。「たねや」という名をよくきくので五月頃に行ってみた。てっきり植物のタネを扱っているお店かと思ったら、小ぎれいな和洋菓子や味わいを商う店だった。~しかし「種屋」という屋号の由来は創業時にあるはずだが、どこかでタネを扱っていたのかもしれない。

 まあよかろう。
 繁盛しているのだから、余があれこれ賛辞をあげてもしかたない。
 気持ち良い食時をいただけた。

 それよりも、近江は、もし信長が本能寺変に遭わなければ、安土城が繁栄し、信長も楽しんだという日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)の祭礼や種々のお祭りを通して、鎌倉幕府の鎌倉や、江戸幕府の江戸のように、湖岸一体がもっと繁栄していたかもしれないと、夢想した。

 もともと、他県人(余もそうだ、京都府人)が知らないだけで、近江の古寺廃寺・名刹はものすごい質量なのだ。飛鳥時代から近江朝にかけても、渡来人の数、仏教の普及など、輝いていた。そこで信長の安土城がそのまま健やかに続いたなら~。と、歴史に「もしも」を持ち込んでも仕方ないが、のう。安土城跡は、日牟禮八幡宮(つまり写真のたねやの近所)から東北東に直線で5Km(大体4800m)の近さなのだ。

 しばらく、たねやの写真を引っ張り出して、様子をまとめておくことにする。
 

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