小説木幡記:医療と教育
医療でずっと話題になっているのは医療費の高騰だが。その仕組みはよく分からぬ。ただ、教育世界とときどき相似性を味わう。
たとえば。
延命:これは人の命だから軽々しく扱ってはならぬが、しかし、植物状態のまま長期間生かし、あるいは、癌末期で助かる見込みはゼロなのにものすごい量の薬を投与して、死なせてくれない。で、教育もそうだな。もう、教育しがいもないし、見込みもないし、本人も死ぬほど嫌がっているの~これは、大きな問題だよ。
点数化:よくしらぬが、治療や投薬はすべて点数化しているらしい。それは分かる。しかし検査値と投薬が見事に連動しているのは馬鹿馬鹿しくなる。検査値で投薬種類や量が自動的にできるなら、余も明日から名医になりそうじゃ。もちろん平均値は、なんとなく製薬会社と連動しておるようだ。で、教育も点数でいろいろ計る。実際に青年たちをじっとみていると、多次元の軸が見えてきて、その軸は個人ごとに全部異なる。それをいわば平均してみるのだから、なんとも言いようのない世界観が生まれてしまう。よくないのう。
イジメ:強きをくじき、弱きをたすける。こういう青少年を育てるのは一朝一夕のことではない。しかしいたずらに現代の、戦後日教組の悪しき教育をそしっても、問題は解決しない。昔も今も、会社や学校や、軍や警察や、もろもろの組織でのイジメは死に至る壮絶なところがあった。
どうすればよいか。
少なくとも、付和雷同しない、強い精神の青少年を3割育てる工夫が必要だ。
教育でも医療でも失敗し致命的な副作用をもたらすのは、完全を求めるからだ。
10人のうち3人だけでもまともな人間に育てる! その3割が残りのヤクザでぶーたれた男や女達を善導する。
結論:では、余は?
余はもう年金生活者じゃによって、世俗の責任からはほとんど免れておる。あとは若いもん達、青年達が日本を改良していってくれることを願うなり。
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