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2012年7月29日 (日)

NHK平清盛(30)平家納経:崇徳上皇の御恨

承前:NHK平清盛(29)滋子の婚礼:漆黒直毛と天然パーマ
NHK大河ドラマ公式あらすじ
白峯陵の西行(MuBlog)

 こうして歴史を眺めてみると、わが日本國は穏やかな国だったと言える。北方騎馬民族国家では、一族郎党を皆殺しにして帝を保つ事例も多々あった。オスマン帝国では、一人が皇帝になると、他の兄弟達は皆殺しになる事例が多かった。いずれも世界史の常識である。

 わが国では恐れ多いことながら、すめらみことが憤死、あるいは暗殺されたのは数例しか残ってはいなかった。いや、記紀が秘匿した事例を探せばまだあるかもしれないが、そんなに多くはなかった。強いて申せば、聖徳太子の子孫が一族壊滅したのは、これは蘇我による王殺しだったのかもしれない(摂政厩戸皇子はもしかしたら帝王だったのかもしれないし、摂政の死は神話的である)。

 というわけで、崇徳上皇の怨念は、天皇・上皇であった方が、遠国に流され、都の弟(後白河上皇)に経を贈るとそれを呪詛と言われ、送り返された。続く実子の不幸(仁和寺上僧)が重なり、都への帰還絶望が深まり、日本一の大魔王となられた。いろいろ怖いセリフも残っておるが、要するに本当に自分の血で呪詛の言葉を書き綴ったとのこと。そこまで先の天皇・上皇を追い込むのは、日本の政治らしからぬ失政だったと私は考えている。なにごとも、おだやかな国柄であった。

 平家納経。
 これが厳島神社に納められたのは、聖徳太子が厚く三宝(佛、法、僧)を敬って以来、古神道として伝わってきた祭祀に仏教がしみこみ、仏教も日本化し、そしてまた神道も変成した。結論からいうと「神仏」という簡単な言葉があらわすように、神も仏も「ありがたいもの」という観点から、区別差別されずに人々の気持ちを惹きつけてきたのだろう。だから現実的には神仏習合、神社に寺があり、寺に神社があった。だから平清盛がありがたい気持を込めて作った物で、もともと厳島神社を敬っていたから、そこに納めたと考えている。清盛はことのほか海と海に面した厳島神社が好ましかったのだろう。

 さて。嵐の船中で清盛が叫んだ言葉は、平成の私をいたく惹きつけた。平家の33巻の経は、平氏一門も摂関家も、源氏も崇徳上皇も、ありとあらゆる人達の思いを鎮めるためのものである、と。それだけの念を込めた作ったという清盛の思いは、事実もそうだったろうと想像する。現代の理とはことなるところで、敵味方、あらゆる志を神仏のまえにひろげ、弔い、鎮魂するという気持は、ドラマを越えて歴史的真実だったのだろう。だからこそ、平清盛は歴史を変えるほどの力と影響力を持った。

 さて、来週からは三部、いよいよ源頼朝や政子さんが表に出てくる。もちろん義経も。忙しくなるな(笑)。

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受信: 2012年8月 5日 (日) 20時28分

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