小説木幡記:嵯峨小学校を後にして11番市バス「三条京阪行」
↑京都市立嵯峨小学校があった↑
今朝気付いたが、写真の小学校を卒業してから幾星辰、そのころはコンピュータもインターネットもblogも何も知らなかったし、想像もしていなかった。
5年生、6年生の担任は、亀岡市に新婚新居をかまえたところの関先生だった。
懐かしいなぁ~
そして、この記事も開設以来2601件目になった。なにほどか皇紀2600奉祝という言葉を思い出し、にやりと自笑した。余談だが、アクセス総数は約232万件(2319298)、開設日は2004/03/07。さらにここ2012年の3月~6月間でアクセスが多かった上位5記事は、
1・ 1Q84:Book3/村上春樹 (読書感想文) → 3259回
2・ 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 → 3193回
3・ Macでウブントゥ:ubuntu(Linux) → 3075回
4・ 丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記 → 1584回
5・ NHK平清盛(18)誕生、後白河帝:青墓の宿 → 1379回
村上春樹さんが強いなぁと思った。数ヶ月前に、アメリカ語に翻訳された1Q84を入手したが、これはBook1~3までのものだった。この大部な翻訳や文庫の数をみてみると、1Q84は、Book3で終了の予感がした。余には未完だが、世間や村上さん御本人はそれでよいとおもっておられるのだろう。それが、ああそれ「純文学」の真骨頂なのかもしれぬ(わはは)。
ところで皇紀2601年奉祝をおもいながら、今朝の小説葛野記は、嵯峨小学校前にまできた。あとは11番市バスに乗って三条京阪にまでいくだけだ。帰路も嵐電、あるいは阪急の嵐山駅、またあるいはJR嵯峨駅から宇治に帰る方法もあるが、高校や大学生の頃によく使っていた(町遊びとか通学に)11番市バスが一番性にあった。
嵯峨野は、見どころがまだまだあって、ここ数年は足繁くかよったが、そのうちまたひとあたり写真紀行を続けようと思っている。楽しみは尽きぬ。盆にはあだし野念仏寺の千灯供養もある。混みそうだがお参りしておきたい。
この条、再見
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