小説木幡記:天龍寺ロード
嵐電・嵐山駅前の天龍寺
天龍寺の境内は足利尊氏時代には、もっと、広大だったようだ。今で言うと帷子ノ辻あたりまで占めていたとか~と、この話は地元の中高のころに日本史の授業で習って鮮烈に覚えているのだが。今朝、あれこれ資料をひっくり返しても、その典拠をえられなかった。勿論インターネットにはそういう表現もあったが、ネット記事の佳さは「こういう話が世間にあるかな?」については便利だが、「本当かな?」とか「情報の出所は?」と確かめ出すと、無理だな。殆どは他の同類の記事を相互借用していることが多い。
さて。
天龍寺の創建当時の寺域はどうだったのだろう。公式サイトでは、裏(西だ)の亀山、南の嵐山、そして現在の嵐電嵐山駅あたりまでは確実に境内といってよい状態だったらしい。いやしかし、それでは「昔は、帷子ノ辻あたりまでが天龍寺だった」という衝撃にはまるで迫れない(笑)
と。
余は国史専門家ではないので、このくらいにしておく。要するに、嵐電・嵐山駅に降り立つと、右手前方に天龍寺の門があって、観光、参詣には地の利のよい寺だと思ってきた。何度も何度も内部の庭を見てきたが、嵐山、亀山が背後にあって、奥深い印象を持たせる。それなりに禅寺風味はあるのだが、もうこれは日本独特の美しい庭という気がする。幼児からこの寺に親しんできたせいか、ごく身近に出入りできる、掃除の行き届いた清潔で美しい公共施設になってしまっている。
ああ、勿論自動車を駐車すると1000円、お庭を見ると数百円と、けっこう出費はかさむが、毎日のことではないのでよろしかろう。
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