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2012年6月30日 (土)

小説木幡記:野宮神社(ののみや)を過ぎて竹林

Muimg_7822←野宮(ののみや)神社を少し山際に進むと竹林がある→

Muimg_7825

 天龍寺の門から北に向かってしばらく歩くと、左(西へ向かう)に入る小道がある。野宮神社はすぐに分かる。天龍寺の庭を通らないときには、この小さな神社が嵯峨野遊行の最初の見どころと思っている。地図で明確だが、天龍寺の庭を進むと北側にも出口があって、そこからも野宮神社はすぐに行ける。

 野宮神社境内には沢山の絵馬があって、恋愛や入試や安産やと、いろいろと人の願いが書いてある。黒木鳥居と小柴垣に感心するが、もともと伊勢斎宮の潔斎処だから神さまはアマテラスさんだ。アマテラスさんにもろもろ世事をお願いするのは?と思うが、境内を見ている限り、結構うけている。なんと言っても若い人達が多い。

 今は知らないが、昔に宇治市の源氏物語ミュージアムが出来た頃には、源氏物語・10巻の賢木(さかき)を題材にして、光さんが野宮に娘と住まう六条御息所(ろくじょうみやすどころ)を訪れる場面が作られていて、感心した記憶がある。みやすんどころの娘さんは内親王なのだろうか?

 斎宮(さいぐう:いつきのみや)制度については、おそらく半分は神話世界の、倭姫(ヤマトタケルノミコトの叔母)が神さんの杖になって(御杖代)、三輪山を出て諸国をめぐり、ついに伊勢の内宮を定めた故事による。平安時代、歴代内親王のお一人が伊勢に出向き、その約1年前の潔斎処が、嵯峨野の野宮神社だった。で、六条御息所の娘さんが誰で、なぜ斎宮になったのかは、またいずれ源氏物語世界でときあかされていくだろう(笑)。

 現代小説では、内田康夫さんの『齋王の葬列』が面白かった。これは現代の話だ。

 ところでこの野宮神社のあたりは、いかにも嵯峨野らしい竹林があって、このあたりの写真はいろいろ撮ってきたが、多くの知人に喜ばれた。なにか、「わかりやすい」写真になるからだろう。日本人は竹林や筍やワカタケニが好きなようだ。
(ついでながら、もう一つの竹林としてお奨めは、広沢池から大覚寺に向かう小道も、竹が道を覆って雰囲気がある)


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