小説木幡記:嵐電に、いろいろな車両がある
←嵐電パトカー仕様と、京紫塗装(モボ621形)↑
嵐電(らんでん)という路線略称を使っているが、会社名は京福電鉄(電気鉄道)というらしい。つまり、京都と福井とが地盤だったわけだ。そのよのことは知らない。詳細はサイトにあるだろう。
嵐電・四条大宮駅に入ったのは記憶にもないくらいの昔だから、もしかしたら40年ぶりのことかもしれない。この日、最初は駅舎の写真を撮っていたが、そのうち京紫車両が入ってきたので、あわてて余が乗っているパトカー仕様の車両と、京紫仕様の車両とを写しだした。身近なところに可愛らしい電車があるのに、気合いを入れて眺めたことが少ない。おそらく、それだけ「嵐電」という言葉が記憶の重層を作っているので、普段はなにかしら意識から外そうとしてきたのだろう。思い出すと取り戻せない過去に苦痛を味わい、最近でも数年に一度は確実にある「不可能事」に関する絶望感、それを避けていた。
(心注1:甘美な過去を取り戻せないから失意にあるのではない。過去は辛く繰り返したくはないことの方が多い。しかし、透明に、やり直しがきかず取り戻せないことには絶望を味わう。たとえば、もう少し熱心に勉強すればよかった、と(笑))
つまり、過去と死とは余にとって等しいことなのだ。
二つとも、絶対的な拒絶がある。
とりもどせない。
そして過去も死も懐かしい。
なかなかに、人の心は複雑なというか、彩綾があるものだ。
ところで。
余は最近いくつかの嵐電車両模型を持っている。普通ならその写真を見ながらあれこれ考えるところだが、それをすると再び、嵯峨野嵐山ジオラマを創り出したくなるので、止めておく。その車両はモデモという会社の作品だが、ここ数年の記憶では、店頭に並ぶと同時に売り切れてしまう。
稀少で、ファンも多いのだろう。
現在、3種類ばかり持っているのは、一年以上前に「中古」で買ったのが引き金だった。その後は、発売時期を事前に調べて、注意深く手にして、やっと2種類追加した。京紫仕様はあるが、パトカー仕様は持っていない。後者は未発売かな?
(心注2:つまり、嵐電は余のタイムマシンなのだろう)
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