« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月30日 (土)

小説木幡記:野宮神社(ののみや)を過ぎて竹林

Muimg_7822←野宮(ののみや)神社を少し山際に進むと竹林がある→

Muimg_7825

 天龍寺の門から北に向かってしばらく歩くと、左(西へ向かう)に入る小道がある。野宮神社はすぐに分かる。天龍寺の庭を通らないときには、この小さな神社が嵯峨野遊行の最初の見どころと思っている。地図で明確だが、天龍寺の庭を進むと北側にも出口があって、そこからも野宮神社はすぐに行ける。

 野宮神社境内には沢山の絵馬があって、恋愛や入試や安産やと、いろいろと人の願いが書いてある。黒木鳥居と小柴垣に感心するが、もともと伊勢斎宮の潔斎処だから神さまはアマテラスさんだ。アマテラスさんにもろもろ世事をお願いするのは?と思うが、境内を見ている限り、結構うけている。なんと言っても若い人達が多い。

 今は知らないが、昔に宇治市の源氏物語ミュージアムが出来た頃には、源氏物語・10巻の賢木(さかき)を題材にして、光さんが野宮に娘と住まう六条御息所(ろくじょうみやすどころ)を訪れる場面が作られていて、感心した記憶がある。みやすんどころの娘さんは内親王なのだろうか?

 斎宮(さいぐう:いつきのみや)制度については、おそらく半分は神話世界の、倭姫(ヤマトタケルノミコトの叔母)が神さんの杖になって(御杖代)、三輪山を出て諸国をめぐり、ついに伊勢の内宮を定めた故事による。平安時代、歴代内親王のお一人が伊勢に出向き、その約1年前の潔斎処が、嵯峨野の野宮神社だった。で、六条御息所の娘さんが誰で、なぜ斎宮になったのかは、またいずれ源氏物語世界でときあかされていくだろう(笑)。

 現代小説では、内田康夫さんの『齋王の葬列』が面白かった。これは現代の話だ。

 ところでこの野宮神社のあたりは、いかにも嵯峨野らしい竹林があって、このあたりの写真はいろいろ撮ってきたが、多くの知人に喜ばれた。なにか、「わかりやすい」写真になるからだろう。日本人は竹林や筍やワカタケニが好きなようだ。
(ついでながら、もう一つの竹林としてお奨めは、広沢池から大覚寺に向かう小道も、竹が道を覆って雰囲気がある)


大きな地図で見る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月28日 (木)

小説木幡記:天龍寺ロード

Muimg_7817嵐電・嵐山駅前の天龍寺
Muimg_7818 天龍寺の境内は足利尊氏時代には、もっと、広大だったようだ。今で言うと帷子ノ辻あたりまで占めていたとか~と、この話は地元の中高のころに日本史の授業で習って鮮烈に覚えているのだが。今朝、あれこれ資料をひっくり返しても、その典拠をえられなかった。勿論インターネットにはそういう表現もあったが、ネット記事の佳さは「こういう話が世間にあるかな?」については便利だが、「本当かな?」とか「情報の出所は?」と確かめ出すと、無理だな。殆どは他の同類の記事を相互借用していることが多い。

 さて。
 天龍寺の創建当時の寺域はどうだったのだろう。公式サイトでは、裏(西だ)の亀山、南の嵐山、そして現在の嵐電嵐山駅あたりまでは確実に境内といってよい状態だったらしい。いやしかし、それでは「昔は、帷子ノ辻あたりまでが天龍寺だった」という衝撃にはまるで迫れない(笑)

 と。
 余は国史専門家ではないので、このくらいにしておく。要するに、嵐電・嵐山駅に降り立つと、右手前方に天龍寺の門があって、観光、参詣には地の利のよい寺だと思ってきた。何度も何度も内部の庭を見てきたが、嵐山、亀山が背後にあって、奥深い印象を持たせる。それなりに禅寺風味はあるのだが、もうこれは日本独特の美しい庭という気がする。幼児からこの寺に親しんできたせいか、ごく身近に出入りできる、掃除の行き届いた清潔で美しい公共施設になってしまっている。
 ああ、勿論自動車を駐車すると1000円、お庭を見ると数百円と、けっこう出費はかさむが、毎日のことではないのでよろしかろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月27日 (水)

小説木幡記:嵐電に、いろいろな車両がある

Muimg_7809Muimg_7812
←嵐電パトカー仕様と、京紫塗装(モボ621形)↑

 嵐電(らんでん)という路線略称を使っているが、会社名は京福電鉄(電気鉄道)というらしい。つまり、京都と福井とが地盤だったわけだ。そのよのことは知らない。詳細はサイトにあるだろう。

 嵐電・四条大宮駅に入ったのは記憶にもないくらいの昔だから、もしかしたら40年ぶりのことかもしれない。この日、最初は駅舎の写真を撮っていたが、そのうち京紫車両が入ってきたので、あわてて余が乗っているパトカー仕様の車両と、京紫仕様の車両とを写しだした。身近なところに可愛らしい電車があるのに、気合いを入れて眺めたことが少ない。おそらく、それだけ「嵐電」という言葉が記憶の重層を作っているので、普段はなにかしら意識から外そうとしてきたのだろう。思い出すと取り戻せない過去に苦痛を味わい、最近でも数年に一度は確実にある「不可能事」に関する絶望感、それを避けていた。
 (心注1:甘美な過去を取り戻せないから失意にあるのではない。過去は辛く繰り返したくはないことの方が多い。しかし、透明に、やり直しがきかず取り戻せないことには絶望を味わう。たとえば、もう少し熱心に勉強すればよかった、と(笑))
 
 つまり、過去と死とは余にとって等しいことなのだ。
 二つとも、絶対的な拒絶がある。
 とりもどせない。
 そして過去も死も懐かしい。
 なかなかに、人の心は複雑なというか、彩綾があるものだ。

 ところで。
 余は最近いくつかの嵐電車両模型を持っている。普通ならその写真を見ながらあれこれ考えるところだが、それをすると再び、嵯峨野嵐山ジオラマを創り出したくなるので、止めておく。その車両はモデモという会社の作品だが、ここ数年の記憶では、店頭に並ぶと同時に売り切れてしまう。
 稀少で、ファンも多いのだろう。
 現在、3種類ばかり持っているのは、一年以上前に「中古」で買ったのが引き金だった。その後は、発売時期を事前に調べて、注意深く手にして、やっと2種類追加した。京紫仕様はあるが、パトカー仕様は持っていない。後者は未発売かな?

(心注2:つまり、嵐電は余のタイムマシンなのだろう)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月26日 (火)

小説木幡記:嵐電で嵐山へ行ってみた

Muimg_7805Muimg_7808
←四条大宮駅の嵐電嵐山行き
 もう二ヶ月も以前のことか、五月初めに四条大宮から嵐電に乗って嵐山へむかった。
 余にとっては、四条大宮駅とか嵐電(京福電車)とかはタイムマシンのようなもので、そのことを考えたりすると一挙に半世紀以上の過去にさかのぼってしまう。
 少年だった余は幼稚園頃からずっと嵐電を意識してきた。嵐電の沿線で、車折(くるまざき)神社近くに住んでいたからだ。幼稚園に上がる前には、暫くの間、天竜寺の塔頭(たっちゅう)・慈済院に間借りしていた~。
 もう手が届かない昔のことなのに、それでも四条大宮駅があって、嵐電が走っていて、車折神社があって、嵐山駅があって、そこには天竜寺が今でもある。タイムマシンがなくても、そのあたりは時間跳躍域なのだ。
 ~
 と、当日写真を撮ったので、久しぶりに小旅行記をまとめていこう。
 事件も刺激もない、ただの半日周遊にすぎないが、思い出すだけで心身にはよい(笑)。

注:嵐電の始発までは、まず京阪で祇園四条にでて、徒歩10分で阪急電車にのって二駅目でおりると四条大宮駅になる。京都は適当に小さい都市だから、行き来が気楽といえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月24日 (日)

NHK平清盛(25)見果てぬ夢:なかなかの信西

承前:NHK平清盛(24)清盛の大一番:相撲節会(すまい・せちえ)に勝った清盛
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 信西は相当に知略教養があった人で、清盛の武力や財力を背後にして、いろいろ政治的に切り開こうとしたようだ。国家予算から教育費用や遣唐使(遣宋使)費用を算木で計算して、國を改革しようとしている姿がよかった。

 そして恨まれた。
 いわゆる平治の乱に続くわけだが、後白河上皇側近達と、二条天皇側近達と、そして源為朝らが計らって、清盛が熊野詣で京都不在のうちに、信西を暗殺(というより、軍したわけだから、クーデターか)するわけだ。

 信西が自害か殺害されたのは、いまでいう京都府宇治田原町で、私自身が信楽に抜ける道をよく使ってきたので身近な感がする。
 信西役の阿部サダヲは、出番の亡くなるのが惜しいと思う上手さ、笑いと鋭利と残忍とが混ざった不思議な役柄をみせてくれたので、深く堪能できた。(ああ、まだ来週もでるようだ。よかったなぁ)


大きな地図で見る
大道神社↑ (信西首塚)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年6月17日 (日)

NHK平清盛(24)清盛の大一番:相撲節会(すまい・せちえ)に勝った清盛

承前:NHK平清盛(23)叔父を斬る:死罪のこと

 相撲と言えば、日本書紀に野見宿弥(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の話があって、奈良県桜井市の相撲神社が伝承筆頭にある。わかりやすい記事を見つけたので引用しておく

 信西は学問僧、というよりも当時のまともな僧は学者だったから、日本書紀や昔の宮中行事のことをいろいろ知っていたのか、そしてまた人心と財政を潤すために、相撲節会を興行した。歴史の中でも平安末期は乱れていたので、信西のような人がでてきて朝廷・政治改革を図ったのはよくわかる。が、その一つが相撲とは驚いた(笑)。
 そんなこんなで、信西の勢いに巻き込まれたのがいつもの平清盛だった。

 これまでのところ、清盛はなにかしら政治の動きに巻き込まれるタイプで、自分で進んで回転させていく雰囲気は少なかった。信西はそれほど、迫力のあった政治家だったのだろう。だからドラマとして若い頃の信西と清盛とが知り合いだった設定は、実に美味く機能してきている。しかし今夜あたりから、婚礼に腹の据わらぬ息子重盛を指導したり、相撲にかこつけて太宰府の大弐職を手にしたりと、清盛の積極性が増してきた。

 それに対応するように源義朝(玉木宏)の暗く陰惨な怨念がよく現れてきて、後日の平治乱に上手に繋がっていくと感じた。この対照はいささか極端だが、清盛と義朝の立場や環境の違いがセリフの数々、眼の動きに良く出ていて、清盛の陽性と、義朝の陰性があざといほどに浮かび挙がってきた。義朝の暗さは以前からで、今夜に限らないので、そろそろドラマツルギーとして、平治の乱前夜の爆発の絶頂が近づいてきていると感じた。

 ところで相撲節会の手伝いをするために、太宰府にでかけ現地を掌握し、その資源で宮中行事を派手に納め、そのことで清盛は後白河天皇から太宰府大弐職を約束された。これが、信西のいう、清盛の相撲ということらしい。しかし古伝では当麻蹶速は野見宿弥に蹴り殺されたという話だから、清盛の相撲が安全だったわけではない。

 さて。
 こうして毎週見ていて思うのだが、本当に面白い。よくできたドラマだと思っている。だからもう、視聴率なんかは気にしなくて良い。NHKだから、税金のような(笑)お金でできあがっているドラマだかろこそ、つまらぬ方法で視聴率を上げるのは無駄な努力だと思う。
 核心をとらえたこのままの方法で行けば良かろう、と本心から思った。

 余のいまの感想では、平安末期の朝廷から武家世界への移りを、清盛や義朝を題材にして、その流れを上手に描いている。それが良いのだろう。まさか平治乱が保元乱より先にもならないし、遠島流されたのは崇徳上皇であり、けっして後白河法皇でない。そういう正しい流れがあるから、余は満足しておる。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

鉄道模型のPC制御:(12) DCC自動運転・図書館パイクでのポイント制御と往復制御

承前:鉄道模型のPC制御:(11) 閉塞区間の構成:BDL168とRX4との配線について


↑レイアウト:配置

12-00 概要
 表題下の動画は、鉄道図書館列車が図書館駅を出発し2周回のあと、ポイント制御によって一旦車庫(ないし近隣博物館)に向かいそこで停車し、再び図書館駅に戻る様子を繰り返すモデルである。このレイアウトを「図書館パイク(30x60cm)」と名付けた。パイクとは極めて小型のジオラマ(レイアウト)の意味である。
 パイク上でのDCC自動運転は移動距離が小さいので、先回配線の紹介をしたBDL168などの列車位置検知装置を使わなくても、動力車を秒単位で前進停止後進させることで、図書館駅に停車させるなどの意図したモデル走行ができる。
 この記事は、JMRI/Jythonによる自動運転アルゴリズムの実験をまとめる意図があるので、ここでは列車位置検知を行わず、比較的単純な時間制御方式を紹介する。

12-01 図書館パイクの全体
 小型のNゲージ動力車を自由に扱えるように、デコーダ非搭載のDCC制御手法を取り入れた。具体的にはレール・レイアウト全体にデコーダから給電制御し、ポイントは選択式のままで、デコーダ番号は標準的な3番にした。この手法は以前に紹介した。ただし、この条件は、下記のプログラムとは無関係と言える。プログラムでは動力車の番号を3(付録の006行)と指定しているので、DCC給電方式(注記)などの物理的な条件は考えなくてもよい。
 
12-02 ポイント制御
Mudsc00020
↑DCCポイントマシン:DS52

 図書館パイクは30X60センチの小さな空間に引き込み線を設定し、建物もいくつか載せている。このために半径が小さいTOMIXのレールとポイントを使った。
 このポイントをDCC制御するためにKATOで販売しているデジトラックス社のDS52デコーダを使った。
 このDS52の取り扱いは単純明快で使い勝手がよい。2台のポイントを個別に制御できるので、それぞれの電動ポイントからのコードの被覆を剝がし、所定の箇所にネジ留めするだけでよい。ただし給電配線は、一般にDCCではレールの左右に接続すればレールが給電や制御の役割を果たすのだが、この図書館パイクに限っては、DCC制御を行う配線の根元に接続する必要がある。つまり、このパイクではレールの電流がデコーダ通過後の給電なので、アナログ運転と同じく直流になっているからである。

12-03 プログラムの概要
 付録に載せたクラス・ToutBackAndForthTimedは、付記したようにJMRIのサンプルを改編したものである。プログラム全体は順次手法だけの単純明快な流れでできている。しかし実際にはJMRI Library APIを使っているので、それぞれの機能を理解する必要がある。
 クラスの中心になるのは、初期化のための(付録の005行)init関数と、操作のための(008行)handle関数で出来ている。
 そのうちhandle関数がアルゴリズムの中心で、この関数は最後に[return 1]と常に真を返すので無限ループを形成している。(実行停止は、JMRIパネルのスロットモニターでKILLし、スロットルで給電をオフにする)

 def handleの流れを概括するならば、
 1.ポイントを初期化し(1番ポイントをTHROWN指示で分岐)。
 2.動力車3番の方向を前進
 3.速度を適度にし、数秒間走行(2周回)
 4.ポイント1番をCLOSED指示で直進
 5.車庫に入った頃、速度をゼロで停止
 6.動力車3番の方向を後進
 7.図書館前まで行ける数秒間の逆進
 8.停止
 9.繰り返す

 という、単純な順次制御アルゴリズムである。

12-04 JMRI特有メソッドの解説
 JythonはPythonのJAVA系実装システムと考え、私はPythonの教科書をもとにこのスクリプト言語についていろいろ確認している。付録に今回のプログラムを掲載したので順次それに随って解説し、固有のメソッドについてはJMRIのソースへリンクを付けておく。
 Jython/Pythonは一風変わったところもあるインタープリーターで、しばらく触った感触ではオブジェクトPascal、Delphi などと似通っている。その近似の事情はまだ正確には言えないが、扱い安いスクリプト言語だと思う。Modula3などと親しい言語なのかもしれない。
 特徴は、関数などを含め、段付(インデンテーション)がプログラムの構造自体を表すので、ブロックを形作るのは標準的に1段付を4半角スペースで表現する書式になれる必要がある。
 またselfという言葉が頻出する。これはある程度使い込まないとこの用法の意味や意義を理解できないので、私も現段階では、サンプル用法をそのまま使っている。
 以下にいくつかの解説を付す。

*プログラムの準備段階
  002 import jarray
    ↑import句によって、JythonでJava言語の配列機能(jarray)をつかうために取り入れている。
  003 import jmri
    ↑import句によって、JMRI制御に特有の機能をまとめて取り入れている。

*初期化関数 def init(self):
  005   def init(self):
  006    self.throttle = self.getThrottle(3, False) # 動力車番号=3
  007    return

 ↑005番のdef init(self):は、全体を初期化するための関数。returnで正常終了するので、一回だけ実行される。
 006行は明示的に、動力車番号(アドレス)を3番に設定している。これは以下のメソッドが使われている。
 getThrottle(int address, boolean longAddress)
 このメソッドは、引数に1~127番までのアドレス(動力車番号)を渡したならFalse、それ以上のロングアドレス(128~9999)ならTrueを返す。結果としてアドレスで指定された動力車のスロットルに下記(def handle)の命令が指示される。

*操作主体関数 def handle(self)
 次に012や015行の、provideTurnout(String name)
 このメッソドは引数に、あらかじめ利用者がその転轍機(ポイント)に与えた番号を文字列として渡す。番号が1番なら"1"となる。そのポイントの状態は.SetStateによって制御され、この引数は定数のTHROWN(分岐・カーブ)あるいはCLSED(直進・ストレート)がJMRIで決めてある。

 次に018行の、setIsForward(boolean)は、スロットルを扱うメッソッドの一つで、動力車の進行方向を定める。引数がTRUEならば順行で、FALSEなら逆行になる。

 おなじ種族である021行の、setSpeedSetting(float)は動力車の速度を指定するメソッドで、引数は通常0~1の小数をつかい、たとえば0で停止、0.5で半速、1で全速である。

 他に頻出する011行の、waitMsecは時間待ちメソッドで、1000が1秒となるので、1分間だとwaitMsec(60000)を指示する。付録のプログラム中で頻繁に使われているのは、CPUの論理が外界(列車を走らせる)制御に及んだときは、人間が頭で考えたように動かず、大抵は「間」を置かないと失敗するからである。ウェイトをかけるのは現実との調和を図ると考えて良い。これはCPUがナノセカンド以下の高速度で動いても、現実界のポイントの切り替えはよっこらしょっと秒単位になることを考えるとよくわかる。

12-05 まとめ
 JMRIはDCCのための貴重で大量の資源をもっている。Jython/Pythonというスクリプト言語に習熟し、そして鉄道模型制御専用のさまざまなメソッドを使いこんでいくと、真のDCC世界が広がってくる。本稿では、単純素朴な時間制御による往復運転とポイント開閉とを組み合わせてみた。本格的には在線検知や信号制御が必要になるが、その前段階として表題動画に示したモデルを作ることができた。Jythonによるポイント制御の事始めとしてここに掲載した。
 次は先回にまとめた複雑怪奇な在戦検知システムをJythonで動かしてみる。

注記:使用したDCCシステム
 この実験では、レールにデコーダを直結したり、また普段見かけるKATO(デジトラックス社)のDCS50Kを使わず、SNJPM DP1を使っている。この事情は別途パイク用の小型制御装置の運用を考えてのことである。しかし付録掲載したプログラムを動かすには、それは普通の手法(DCS50KとPC)で行っても結果に変わりはない。
 なおPCやOSは選ばないのだが、今回のものはWindows7上で実験した。

付録:自動・ポイント制御付往復運転
 オリジナルはJMRI:Scripting Examples より、BackAndForthTimed.py 

001 # 改編 谷口敏夫 2012/06/01~
002 import jarray
003 import jmri
004 class ToutBackAndForthTimed(jmri.jmrit.automat.AbstractAutomaton) :

005   def init(self):
006    self.throttle = self.getThrottle(3, False) # 動力車番号=3
007     return

008  def handle(self):
009    # 以下は「この」handle() が真の限り繰り返す。
010    Sokudo = 0.3
011    self.waitMsec(1000)  # 1秒待機
012    turnouts.provideTurnout("2").setState(THROWN) # T:反位・分岐
013     # ↑2番ポイントは常に進入不可とする。
014    self.waitMsec(1000)  # 1秒待機
015    turnouts.provideTurnout("1").setState(THROWN) # T:反位・分岐
016    #↑1番ポイントは、しばらく進入不可とする。
  
017  # 前進設定
018    self.throttle.setIsForward(True)
019    self.waitMsec(1000)
020    # 速度設定
021    self.throttle.setSpeedSetting(Sokudo)
022    self.waitMsec(5000) # 5秒 しばらく前進
023    turnouts.provideTurnout("1").setState(CLOSED) # C:定位・直進
024    # 1番ポイント進入可によって、車庫
025    self.waitMsec(4500) # 4.5秒
026    # 停止設定
027    self.throttle.setSpeedSetting(0)
028    self.waitMsec(1000) # 慣性走行
  
029  # 後進設定
030    self.throttle.setIsForward(False)
031    self.waitMsec(5000)
032    # 速度設定
033    self.throttle.setSpeedSetting(Sokudo)
034    self.waitMsec(4500) # 4.5秒 しばらく後進
035    # 停止設定
036    self.throttle.setSpeedSetting(0)
037    self.waitMsec(1000) # 慣性走行
  
038  # 周回終了 繰り返し
039    return 1  
040    # 完全終了はスレッドモニターでKILL。スロットルで電源をオフ
041 # クラス終了の行
042 ToutBackAndForthTimed().start()

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月14日 (木)

西の魔女が死んだ/梨木香歩 (感想:よい作品だ)

 梨木さんの作品は、以前『家守綺譚(いえもり・きたん)』にふれたことがあった。
 このたび感動した『西の魔女が死んだ』は家守以上に知られた名作だと思うから、余がわざわざ筆をとる必要はないと思いながらも、読み終わった現在、何か徴を残しておきたかった。宇治の魔法使いから~魔法使いの弟子たちへ、と。

 記すことも少ない。
 多くの少年少女、そして疲れ切った成人たちが読めばよかろう。近頃流行の分厚く重い作品ではなく、小一時間で読み切れる。
 そして女たちは魔女になりたいと思うだろうし、かくもうす余はいまからでもおそくはない、魔法使いになりたいと思った。

 人がこの世界とどういうふうに接すればよいかが、少年少女でもたやすくわかり、やってみようとおもわせるほどくっきりと描かれていた。もちろんハーブ茶を作ったり、家事を小ぎれいに上手にこなす姿など、素晴らしい世界だが、余はむしろ心のありように感動した。囚われるな、固執するな、しかし諦めるな、~事実は事実として理解し確認せよ、しかしそれに囚われてしまっては、上等な魔女になれない。世界を鋭敏に探知するのが大切だ、しかしそれに押しつぶされてはもともこもない~。なかなか難しいが、まるで昔の剣聖のような、上泉信綱のような、なにかするどさと暖かさと併せ持った世界が描かれていた。

 さっきから思っていたのだが。
 なんとなく、なにかしらないが、小説とは女流作家の方が圧倒的に上手だと思った。
 たとえば。
 わかりやすく言えば、大多数の男性作家の小説は殺人や猟奇やエロやグロや闇世界を描いている。余が読むのがそういうものに偏っているわけではない(笑)。なにか激しい斬新な、新奇な刺激の強いことを書かないと物語としても、現代小説としても成り立たない世界になってしまっている。

 そこで『西の魔女が死んだ』。
 透き通った深いハーブや紅茶を飲んだ気分になる。馥郁とした薫りと味わいがある。
 そうだ。
 古典にあった。
 和歌、芭蕉の俳句~。
 それにしても、これだけの分量なのに、読後感として、祖母も「まい」も、ママもパパも、そして隣人ゲンジも、亡くなっている祖父でさえ、それぞれの姿が明瞭に残っている。つまりそれは、梨木さんという人のものすごい、秘めたすさまじい筆力の故なのだろう。
 う~む、魂のある水彩画なのだ。

 そして。空耳なのか、魔女の声がした。「アイ・ノウ: I know」と。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月10日 (日)

NHK平清盛(23)叔父を斬る:死罪のこと

承前:NHK平清盛(22)勝利の代償:頼長も信西も~
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 昔は律令で死罪があったが、仏教の隆盛とともに運用されなくなったようだ。特に貴族など上流階級にたいしては重罪であっても流罪が実質的最高刑であった。とはいっても官位剥奪財産没収を伴うから重い科(とが)はあったといえる。

 さて。
 今夜の見どころは清盛が叔父平忠正およびその息子たち4名の死罪を執行する役回りと、源義朝が父為義と弟たちを斬殺する役回りに立ち、その逡巡だった。
 良く描かれていたが、実際なら、刑死する者が無駄に考える時間を持つまもなく、準備途中でも打ち首するのが本当の「なさけ」かもしれない。江戸時代なら腹に刀を当てる直前に首が飛ぶようだ。しかしそこはドラマだから。

 一族肉親間での死刑執行は残酷陰惨極まりない史実だとは思うが、戦争の幕引きとしては妥当だと信西は考え、後白河天皇もそれでよしとしたのだろう。清盛はさすがに知恵熱をだして寝込んでしまったが、影のように西行が供養していたのが象徴的だった。
 他方、義朝はついに伝家宝刀トモキリを使えず、部下の鎌田正清が代わって執行したことになっている。場所は船岡山とのこと。この鎌田は将来、重要な役回りをもつことになる。

 「死」に関してはこのごろますます公平感を味わうようになったが、いまよりももっと死を眼前にして生きていた武士階級にとっては、身近なものでありながら、我が身と一門の繁栄成就と引き替えにできることだったのかどうか、難しい所だな。


大きな地図で見る
↑船岡山

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年6月 6日 (水)

箸墓を3Dで見る:卑弥呼の墓?

箸墓3D(YouTube)

 箸墓古墳を3Dで見られるようになった。
 橿原考古学研究所とアジア航測との共同で、ヘリコプターからのレーザー光照射で制作したもののようだ。もうひとつ、天理市の西殿塚古墳も3D計測された。

 いろいろ古代史の謎が詰まっていて、解明されるどころか、謎がますます深まっていく予感もする。引用動画で箸墓をいろいろな側面から眺めたが、古墳の「段」が実に明瞭に段々であることに感動した。

参考
 JoBlogに詳しい記事がある。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年6月 3日 (日)

NHK平清盛(22)勝利の代償:頼長も信西も~

承前:NHK平清盛(21)保元の乱:一騎打ちと飛び道具
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 藤原頼長が成長したのは宇治市らしい。宇治市というか木幡近辺には沢山の宇治陵(藤原家の墓)があるので、宇治全体が藤原家の別荘地で同時に墓所地だったようだ。
 宇治は奈良と京都との京都よりにあって、なにかと藤原家のような旧勢力には便利な土地だったと想像。藤原家は奈良市の春日大社が守り神だから、多数の寺社仏閣との縁も強かったのだろう。

 さて。
 信西が悪左府・頼長の屋敷跡で日記を見つけて読み、頼長の清廉さに感涙あったのは、自然だと思った。頼長も信西もお互いに超のつく知識人、勉強家で、かつまつりごとに気持ちを込めていた人なのだろう。信西はやがて、頼長と同じような運命を歩むが、このころの知識人は、政治に関与するかぎり「命がけ」だった事実がうかがえる。

 あと。
 美福門院得子(なりこ)さんと後白河天皇とが双六をしていた。後白河天皇の実父が故・鳥羽法皇で、鳥羽法皇の寵姫が得子さんになるので、後白河さんと得子との縁はあさからぬ。
 美福門院は当時の政治に強い影響力があったので、このころの後白河天皇は、まだ得子さんの言い分を聞かざるを得なかったと想像する。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »