小説木幡記:宇治川上流をながめて、旅のまとめ
↓朝霧橋から宇治川上流を眺めた。
宇治神社参道前近くから架かる朝霧橋とは、中の島を挟んで、橘橋を渡り平等院に繋がっている。その橋の中程から上(かみ)を眺めて一枚撮した。宇治川といえば余の心の景色にはこの情景が刷り込まれている。高校生くらいから宇治に通い、20代はバイクで本当によく走った。当時は天瀬ダムにレストランもあって休憩出来たので、そのまま宇治橋に戻るか、あるいはずっと走って瀬田の琵琶湖に行った。
そうやって「走る、走る、動く、動く」思い出が一杯なのに、結局心の中にはこの風景が「宇治」と言った途端に浮かんでくる。人間の記憶とは、本当に面白いものだ。
ということで、旅のまとめと言っても、実は過日思い立ってカメラをもってぶらりと電車に乗って、宇治橋に立ってそれから蕎麦をたべて、景色のよい喫茶店から外を眺め、そいで中の島、塔の島をぶらぶらして対岸にわたり、平等院にお参りすることもなく、そのまま宇治橋にもどって、やはり京阪電車に乗って帰宅した。と、気楽な散歩のメモに過ぎない。
さて、次は。
実はこの間、黄金週間、銀色週間(黄金よりも身近にしたいのは銀色だな)に乱読し、乱歩し、乱写したのだが、どうにもまとめる気力が少なくて、こころはJython、Pythonのきらきらしいコーディング姿や、あるいは物語と歌の幻影にときどきはまり込み、かくいうMuBlogに手を付ける余力がわかぬ。
しかし、次は。
予定では、二月頃に歩いた四国や淡路島のこと。
DCCのプログラミング世界どっぷりの、久しぶりのアルゴリズム構築情景。
琵琶湖に浮かんだミシガンや、またしても近江八幡の近江牛。あるいは、
嵯峨野、大覚寺、嵐山とくると、落柿舎や嵯峨小学校の情景~
嵐電で四条大宮から乗車して嵐山に着いた時はなだそうそうだね。
嵯峨小学校を写したときは足がそのままくずれおちそうになった。
(ああ、余の人生が滅びていく、とな)
~
なにからなにまでblogとはついに私的想念の掴みと描写につきるのう。
再見
追伸
ところで嵯峨野の竹藪道だが、なかなか良いものだな。以前、写真にもとってみたが、ただ空を眺めているだけで、竹の音が聞こえてきて、気持ちが良くなる。(ああ、幻聴だよ(笑))
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント