NHK平清盛(20)前夜の決断:後白河と清盛
承前:NHK平清盛(19)鳥羽院の遺言:誰もが大将の悲劇
NHK大河ドラマ公式あらすじ
復習:保元の乱
保元乱(1156)と平治乱(1160)とは、MuBlogでも何度か記したが、なかなか複雑な戦だった。Muも半世紀も前に、日本史の大学入試では、このあたりのことをしっかり頭にたたき込んだが、すぐに忘れる。要するに、保元乱では平清盛と源義朝が味方勝ち組になって、平治の乱では平氏が源氏を打ち負かした、ということだ。
そこで復習を再度重ねて、以前のメモを掲載する。
A:天皇家
○後白河天皇(松田翔太)+信西入道(阿部サダヲ)+美福門院藤原得子(なりこ)(松雪泰子)
●崇徳上皇(井浦新ARATA)→讃岐で憤死。
注記:日本三大怨霊のお一人。菅原道真(天満宮)、平将門(神田明神)、崇徳上皇(白峯)のお三人。
B:摂関家
○藤原忠通(堀部圭亮)
●藤原頼長(山本耕史)
C:平氏
○平清盛(松山ケンイチ)
●平忠正(豊原功補)
D:源氏
○源義朝(玉木宏)
●源為義(小日向文世)+源為朝(橋本さとし→鎮西八郎為朝とよばれ有名。)
みどころ・身内の分裂
源氏は父の為義と息子の義朝とが別れて戦う。この前にも、父・為義は源氏の宝刀「友切」をめぐって親子喧嘩をしていた。平氏は統領の清盛と、叔父の忠正および弟頼盛とが、不穏な雰囲気で、ついには忠正は崇徳上皇がたに付く。
このあたりの史実と虚構と事実と~いろいろ難しい。源氏は憎悪のかたまった父子喧嘩の結果とし、平氏は反目はもとからあったが、家名を残すための方法論として忠正離脱を解釈していた。
残された記録も、文字にのこったものと、当人達が移ろいゆく情勢の中で瞬間瞬間に判断していった内情は、やはり闇の中に溶けているだろう。つまり、ようわからぬことが多い。
みどころ・後白河天皇と清盛
松田と松山の両イケメンの勝負場面はなかなか充実していた。
つまりは、後の後白河法皇と平清盛との確執で平安時代が終わり、鎌倉幕府に移っていく、その両雄の対決だった。
で、よい場面であった(笑:書き記すまでもなく、おもしろかった)。
みどころ・西行
西行がほんの少し出てきたが、もう少し狂言回しのように頻繁にでてもよかろう。
~
また来週が楽しみだ。
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