小説木幡記:宇治のJR奈良線
↓宇治川宇治のJR奈良線、快速
JR奈良線は一応電化しているが、いまだに単線である。余が宇治に住まいして以来ずっとそうだから、おそらく永遠に単線のままだろう。
鉄道関係で最近、良書に巡り会えた。その一冊に『鉄道復権/宇都宮淨人』(新潮選書)がある。内容は読めば分かるので今夜は省略する。
その中のコラムに鉄道とは「水平のエレベータ」というたとえ話が載っていた。デパートではエレベータやエスカレータに乗っても運賃を取らない。鉄道は都市の中、都市間をつなぐ水平のエレベータ、そういえば歩くエスカレータは大抵無料で存在するが、だから赤字だ、廃止だと、いかにも合理的な考えで鉄道を痛めつけるのはおかしいという話だった。
現実として、世界ではアメリカの諸都市、その他、鉄道が無料のところは結構あると。余流に主旨を極端に解釈すると、鉄道は社会的、基本的な共有財産、ようするにインフラ:インフラストラクチャーであって、道路や公衆便所、公園のようなもので、そこから高い料金を取って、それでまだ赤字だとか廃線だと言うのは間違っている。と、そんなところか。
もっともJRは國鐵時代とは異なって私鉄のようなものだから、ちょっと考え方も変わるが。一般の私鉄も料金を取らないと給料も払えない。そうだな、市電や町鐵があるとして、そこから無理やり「受益者負担」「赤字」という考えを持ち込むのは、他の有用性と秤にかけると、おかしいということだ。鉄道には普通の経済法則からは見えてこない膨大な益があって、その益からすると、赤字なんてただの小さなゴミにすぎなくなる。ゴミにばかり眼がいって、その大きな器に気がつかない。人とは、おろかなものよのう。かかかっ。
さて。
その、鉄道が持つ見えない益とは何をさすのだろうか?
その答えは図書にある。
読めば童でもわかる。
意外に、デパートのエスカレータやエレベータと同じ理屈なのかもしれない(笑)
その心は、10階建てもあるデパートのエスカレータやエレベータが有料なら、誰も来ないだろう。いや、それでも、有料でも東京の高層ビルだと客が来る、という考えもあるが~それはバブリーな世界観だな。村や町に住むということは、まっとうな生活を営むことが底にある。
赤字路線と騒ぐことや、有料の市電や町鐵はもう一度考え直した方がよいな。
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