小説木幡記:宇治の橋守
通圓(つうゑん)茶屋は随分歴史の古い店だ。口上(通圓の歴史)によるとすでに850年も昔の創業で、源三位頼政に仕えた古川右内という武将の庵だったらしいから、平安時代末期、源氏物語が完成後すでに160年も経った時代のことだ。これは江戸時代初期からみると、500年以上の歴史を持つことになる。遠い遠い大昔の話だ。
余が宇治に通うようになったのは高校生の頃からだった。このころは三条京阪から宇治行き急行が直通始発になっていて、気分的に楽に行けた。現在は中書島で乗り換えて宇治線に乗車する。宇治には数十年住んでいるから、慣れてはいるが、面倒なことだ。ところで、高校生の頃には三条京阪駅に近鉄電車が乗り入れていて、それに乗れば奈良まで直行できた。だから、物知らずの余はなかなか宇治と奈良とを区別出来なかった。若いと言うことがどれほど愚かしいことかと、赤面する。
で、宇治橋東詰の通圓茶屋だが、体験したのは現実世界ではなくて、五味康祐『柳生武芸帳』の中でのことだった。現実には表を通り過ぎても眼に入らず、物語の世界では幾度も出会っていたという不思議なお茶屋さんだった。五味康祐さんは芥川賞作家で、余が中高時代には一代の剣豪作家として有名な人だった。余はこの柳生武芸帳を大学浪人中に、気が鬱すると何度も精読していた。そして宇治が出てくると、物語世界の中でほっと一息ついたことを思い出す。映画は見たはずだが、原作の薫りがなかったせいか、思い出せない。
この日、余は写真を撮ったあと、満足して茶屋の左にある小道に入っていった。今度行ったときには、茶店で茶団子など食べて一服しよう。
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コメント
この風情よろしいなあ
三角の瓦屋根に白壁、そして木の柱。
日本はこうだったんだよ、悪くないよねという写真ですね。
僕たちが子供の頃はどこへ行ってもこういう雰囲気でしたよね。
あれから50年、と綾小路公麿風になりますが、こういう風景が稀なものになってしまいました。
いや、素晴らしい。
こういう風景が残っている宇治は素晴らしい。
近くで住んではる人がうらやましい。
奈良でも宇治でもよろしいから、残って欲しい風情やと思います。
投稿: ふうてん | 2012年4月25日 (水) 00時29分
たしかにふうてんさん
~
けれど、宇治や嵐山の風景は、幾分観光の気持ちもあるから、洗練されているわけです。お化粧しているわけですね。
宇治の奥の宇治田原という地域だと、自然なそのままが部分部分に残っています。奈良も南の深い所だと、観光とはちがった自然な生活の美があります。
私はまだまだ現世に生きていますから、分かりやすい嵐山や嵯峨野、そして宇治のこぎれいな洗練された風景、建物、風情が好きです。本当に生活に密着したものを、「おお、美しい」と言えるほどには成熟しておりません。
しかし。
どうであれ、これだけ写真を撮るのは、身近な宇治でも、ものすごく気にいっているという証です(笑)
投稿: Mu→ふうてん | 2012年4月25日 (水) 17時01分