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2012年4月29日 (日)

NHK平清盛(17)平氏の棟梁:源平の違い、明暗

承前:NHK平清盛(16)さらば父上:保元の乱前哨戦
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 このドラマでは、清盛は実直な息子では無かったせいか、忠盛が棟梁として責任を負っていたことを初めて知って、面食らったようだ。各地に点在する多数の所領の監督や、(密)貿易のことや、種々の約束事が、新たに棟梁となった清盛の前に一度に押し寄せてきた。つまり、次々と判断を求められてきた。

 また時子さんも一族、家のことを一挙に束ねるのは難しく、象徴的に一族の宴の用意に失敗した。
 ところで。
 このことは今になっても、世をすねたような私にとっても、若い人達に厳しく伝えることのひとつに「宴の準備、運営」がある。数名から数十名の宴会などは、世間で働いていると時々その運用を幹事としてまかされることがある。これは場数を踏む必要もあるが、場所、日時、会費、料理、席次、挨拶や乾杯や〆の音頭とり、タイミングと、まるで結婚式場披露宴会場の裏方のような仕事が発生する。しかし、これを素人でもちゃんとできるようにしておかないと、折角の宴席がノリのない、間の空きすぎた、どうしょうもない時間の空費になってしまう。披露宴のようにプロの人達の企画や司会者を採用するわけでもないところに盲点があって誰かがしなければならない。そのときたとえ「たいこもち」と言われようと、人の集まる席をおもしろおかしく維持するには、若いうちから「練習」した方がよい、ということだ。
 失敗するとは、たとえば自分の好みだけでいくと、壮年者のあつまりに、甘ったるいカクテルばかり用意するようなものだ~。一家言もつベテランにスピーチする機会をはずしてしまうと、あとあとまで禍根が残る。だから、普通の仕事以上に幹事は重責なのだ。

 と、急に論調が変わったが(aries)。
 先妻と後妻と、その子ども達の扱いは、男子たるもの最初からわきまえておかないと、悲惨なイジメや子殺しに発展する危険性があるな。
 だから、今日の清盛の棟梁就任のことは、人は時には自分の立場を自覚し直す必要があるという教訓だな。

 いろいろなエピソードは、それぞれが面白かった。
 そして家族愛に包まれた平氏、骨肉相争う源氏。その対照がますます明確になってきた。鎌倉幕府は源頼朝が開いたが、あっというまに北条氏に乗っ取られてしまった。その遠因は、暗さにあったのかな(笑)。いやもちろん、平氏もやがて、西海に没するわけだが、なんとなく最後まで一家心中したような連帯感があったな。

追伸
 またまたこのドラマの視聴率問題が話題にあがっていた。
 で、毎回毎回楽しく、あっというまに45分が経ってしまう私には、「なぜ、ケチをつける」と、心底わからなくなる。表現や展開において近来まれな出色のドラマだと、私はこころから思っている。
 もう、現代の視聴者はよほどけばくてばかばかしいドラマにしないとついてこないのか。そしてまた日本史など聞いたこともない人が視聴者の大半なのだろうか。

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小説木幡記:宇治川の眺望(カフェ百盛)

↓カフェ百盛:宇治神社の近くから見た宇治川
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Smuimg_7747 宇治橋上流の宇治川右岸で気に入っているのが、この喫茶店(カフェ百盛)からみた風景である。対岸は橘島で、左手が丁度平等院鳳凰堂になる。で、この撮影地点の上に宇治神社の参道があり、逆に川に向かっては朝霧橋がかかっている。
 このカフェが出来たのはいつか知らないが、少なくともカナン96という研究会で20世紀末に使っているから、それほど新しい店ではない。右写真は下から見上げたもので、相当巨大な一面遮光硝子がはめられていて、中は覗けないが、最初の写真はその硝子のそばで外の宇治川を写したものだ。
 おそらく宇治の眺望として出色の立ち位置だと、思う。

 カナン96とは1996年につくり21世紀初期まで続いた研究会(情報学)だった。まだ結成間もない頃にメンバー全員(10名ほどか)で宇治の天ヶ瀬ダムまで歩いて、そこでバーべーキューをした。その往路で立ち寄った記憶がある。そのころは天ヶ瀬ダム近くにレストランがあって、地ビールが飲めて庭ではバーベキューが出来たのだ。今は亡い。

 当日、桜の季節は終わっていた。カフェには三組ほど先客がいたが、硝子窓近くには席が残っていた。暑かったので冷製白玉ぜんざいをいただいた。20年近くたっているというのに、硝子は磨かれ、カフェ全体が清潔だった。なかなか気分がよかった。

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2012年4月26日 (木)

小説木幡記:宇治の蕎麦処(しゅばく)

 単純に宇治とか宇治橋だと、三重県のお伊勢さんに同一地名があって、混乱する。この宇治は京都府宇治市の宇治橋だ。その東詰、小道を少し川上に向かって歩くと左手に「しゅばく」という蕎麦処があって、そこの「辛みおろし蕎麦」をいただいた。値は丁度千金。開店(11:30)と同時に入ったが、すぐに満席になった。平日のことだ。

 お酒もそろっていて、酒好きの関東の諸友を案内したら、喜んでくれるだろう(笑)。
 関東風というか、現代江戸風なのは、暖簾を軽く押しのけ、着流しでざるを一枚、シュワシュワと喉に通し、ついでにヱビスビールをクククと飲んで、さっさと店を後にするよい男、ちゅう風情だな。関西の男だと、ちょっと映えない。

 さて。
 大体、料理におろしがそえてあると余はいたく感動する。特に辛みおろしの蕎麦はたまりませぬ。もう、それだけで極楽往生できる。
 と言うわけで、十割蕎麦とかいう意味や意義はあまり分からぬが、特に京都の冬の辛み蕎麦は、絶品だ。もちろん、このお店「しゅばく」でも堪能した。宇治はよいところだ。
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2012年4月24日 (火)

小説木幡記:宇治の橋守

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 通圓(つうゑん)茶屋は随分歴史の古い店だ。口上(通圓の歴史)によるとすでに850年も昔の創業で、源三位頼政に仕えた古川右内という武将の庵だったらしいから、平安時代末期、源氏物語が完成後すでに160年も経った時代のことだ。これは江戸時代初期からみると、500年以上の歴史を持つことになる。遠い遠い大昔の話だ。

 余が宇治に通うようになったのは高校生の頃からだった。このころは三条京阪から宇治行き急行が直通始発になっていて、気分的に楽に行けた。現在は中書島で乗り換えて宇治線に乗車する。宇治には数十年住んでいるから、慣れてはいるが、面倒なことだ。ところで、高校生の頃には三条京阪駅に近鉄電車が乗り入れていて、それに乗れば奈良まで直行できた。だから、物知らずの余はなかなか宇治と奈良とを区別出来なかった。若いと言うことがどれほど愚かしいことかと、赤面する。

 で、宇治橋東詰の通圓茶屋だが、体験したのは現実世界ではなくて、五味康祐『柳生武芸帳』の中でのことだった。現実には表を通り過ぎても眼に入らず、物語の世界では幾度も出会っていたという不思議なお茶屋さんだった。五味康祐さんは芥川賞作家で、余が中高時代には一代の剣豪作家として有名な人だった。余はこの柳生武芸帳を大学浪人中に、気が鬱すると何度も精読していた。そして宇治が出てくると、物語世界の中でほっと一息ついたことを思い出す。映画は見たはずだが、原作の薫りがなかったせいか、思い出せない。

 この日、余は写真を撮ったあと、満足して茶屋の左にある小道に入っていった。今度行ったときには、茶店で茶団子など食べて一服しよう。

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2012年4月23日 (月)

小説木幡記:擬宝珠(ぎぼし)と柳

↓宇治橋の擬宝珠と柳
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 京阪電車の宇治駅に降り立つ人で、地元民以外なら、大抵は宇治橋の擬宝珠を眺める。というようりも、擬宝珠や柳を通して宇治川の上流を眼にする。目立つところだから、この配置をデザインした人は苦労したのではなかろうか。その甲斐あってか、余は必ずこの前で立ち止まる。いや、毎回高札を読むわけではなく、なんとなく柳を眺めてしまう。「……、っさ、宇治についたぞ」というかけ声をかける、そうしている。 
(参考までにMuBlogの2005年5月記事に参照を入れておく)

 さてここで行き先は三方に別れる。一番左だと源氏物語ミュージアムや、お茶や甘味の有名茶店にたどり着く。すぐ左というか真ん中だと、団子和菓子や蕎麦やイタリアンや、宇治神社、宇治上神社、桜名所(えしんいん)や、ずっと歩けば天ヶ瀬ダムまで通じている。そして右に宇治橋を渡れば、平等院参道の店店や、宇治橋通りの商店街にたどりつく。と、そこかしこにお茶で人々を惹きつける沢山のお店がある(たとえば、中村藤吉本店)。

 さて。この日の余はどちらへ行ったか。
 その日の気分で、どちらへ行っても、また元に戻れるのが宇治のおもしろさだな。これは、嵐山・嵯峨野とも似通っておる。このおもしろさは、一度考えて見るのもよかろう。おそらく、歴史的に、誰かが周遊の道を付けたのだと、感じておる。

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2012年4月22日 (日)

NHK平清盛(16)さらば父上:保元の乱前哨戦

承前:NHK平清盛(15)嵐の中の一門:兄弟
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 いちいち指摘はできないが、良くできたドラマだと感心している。
 平忠盛の死の扱いは、気持ちが良かった。まだ元気なうちに一統を集め、清盛には唐皮の鎧、だれそれには愛用の弓、かれそれには~と、形見分けをし、最後に清盛の郎党、盛国と兎丸に「もっとも近いお前達が、次の棟梁を支えよ」と言い、清盛を忠盛亡き後の後継者と指定した。

 そして、清盛は国司として安芸にでかけ、まどろんでいるとき、(追いついた)忠盛が、剱の手合わせをし、「清盛、強くなった」と言った後、姿を消した。清盛は残された剱を高く差し上げ、海に向かって雄叫びを発した。

 ~
 と、忠盛の死の扱いは、嘆きも涙も見せず、淡々と終わった。
 死の前に、忠盛と本妻宗子とが本当の心を通わせた場面が救いであった。そういえば、宗子(後の池禅尼:和久井映見)の、忠盛を支える横顔が美しかった。女優としても、こういう面立ちを見せるのは難しいことだが、名優と思った。

 政争については。
 美福門院(松雪泰子)さんの権謀術策に、千年の藤原摂関家が踊らされている様子がよくわかった。得子(なりこ)さんとしては病弱な息子の近衛天皇に無理難題をふっかける悪左府頼長の勢力を憎悪し、しかし慌てず、頼長の力を逆手にとって、摂関家を追い落とす策に手を付けだしたわけだ。
 女子が恐ろしいという前に、摂関家は、悪左府が源氏を暴力装置として使いこなしたことが、命取りとなった。このあたりのことは、歴史の鑑として、典型として、よく知っておくべしだな。

 めぐる因果が保元乱、そして三年後の平治乱を招き寄せていく。
 いやはや、歴史って、たまらないおもしろさがありますなぁ。

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2012年4月21日 (土)

小説木幡記:宇治橋

↓宇治橋:京阪宇治駅の前に立って、南方向を撮す
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 平等院のある宇治駅、宇治川付近は散歩道として最適なのだが頻繁には行かない。習慣的に京都市内の中心部や、伏見、嵐山・嵯峨野へ足を伸ばすからだ。日頃仕事をしている葛野が京都市右京区なので、ついそちらへ眼が向いてしまうわけだ。

 数年前に「葛野研の図書館列車世界:2009夏」という記事をMuBlogに掲載していた。その中に「2.屯所にて:未着手の宇治川周遊図書館ジオラマ原型」という章があった。つまり、昔はこのあたりに「おとぎ電車」というバッテリーで動く観光トロッコが走っていて、それを知った2009年頃の余が、ジオラマで再現しようとしていた頃の記事なのだ。

 宇治市は観光市だから平等院や世界遺産の宇治上神社や、源氏物語宇治十帖のモデル地や博物館、そして植物園や図書館、資料館もある。自然と文化と歴史とがほどよく混ざった良き都市と、余は昔から考えてきた。そこに「おとぎ電車」が走っていた。なにかの理由でいつのまにか廃れ、無くなってしまった。

 もしも復興宇治川トロッコを走らせるなら、京阪宇治駅あたりを始発にして、一つは博物館線として源氏物語ミュージアムに行き、一つは右岸を走り宇治神社で博物幹線と合流し、天ヶ瀬ダムまで行って、ダムを横切り左岸にはいって、そこで分岐して、一つは図書館や植物公園へ向かう線(植物園線)、一つはそのまま左岸を下流に向かって平等院前に行き、JR宇治駅を通って、ここで植物園線と合流し、宇治橋を渡り、京阪宇治トロッコ駅に戻るという構想だ。

 観光鉄道でもあるが、同時に市民の足として役に立つだろう。~
 図書館(資料館)、博物館、植物公園、太陽ヶ丘(運動公園)を面として活性化させる生涯学習路線、宇治市の新設トロッコ列車。
 ジオラマを造ってみたい(と、思ったのが2009年だったが、それからもう3年経ってしまったなぁ(笑))。
 どうかな?


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2012年4月18日 (水)

小説木幡記:宇治のJR奈良線

↓宇治川宇治のJR奈良線、快速
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 JR奈良線は一応電化しているが、いまだに単線である。余が宇治に住まいして以来ずっとそうだから、おそらく永遠に単線のままだろう。
 鉄道関係で最近、良書に巡り会えた。その一冊に『鉄道復権/宇都宮淨人』(新潮選書)がある。内容は読めば分かるので今夜は省略する。
 その中のコラムに鉄道とは「水平のエレベータ」というたとえ話が載っていた。デパートではエレベータやエスカレータに乗っても運賃を取らない。鉄道は都市の中、都市間をつなぐ水平のエレベータ、そういえば歩くエスカレータは大抵無料で存在するが、だから赤字だ、廃止だと、いかにも合理的な考えで鉄道を痛めつけるのはおかしいという話だった。
 現実として、世界ではアメリカの諸都市、その他、鉄道が無料のところは結構あると。余流に主旨を極端に解釈すると、鉄道は社会的、基本的な共有財産、ようするにインフラ:インフラストラクチャーであって、道路や公衆便所、公園のようなもので、そこから高い料金を取って、それでまだ赤字だとか廃線だと言うのは間違っている。と、そんなところか。

 もっともJRは國鐵時代とは異なって私鉄のようなものだから、ちょっと考え方も変わるが。一般の私鉄も料金を取らないと給料も払えない。そうだな、市電や町鐵があるとして、そこから無理やり「受益者負担」「赤字」という考えを持ち込むのは、他の有用性と秤にかけると、おかしいということだ。鉄道には普通の経済法則からは見えてこない膨大な益があって、その益からすると、赤字なんてただの小さなゴミにすぎなくなる。ゴミにばかり眼がいって、その大きな器に気がつかない。人とは、おろかなものよのう。かかかっ。

 さて。
 その、鉄道が持つ見えない益とは何をさすのだろうか?
 その答えは図書にある。
 読めば童でもわかる。
 意外に、デパートのエスカレータやエレベータと同じ理屈なのかもしれない(笑)
 その心は、10階建てもあるデパートのエスカレータやエレベータが有料なら、誰も来ないだろう。いや、それでも、有料でも東京の高層ビルだと客が来る、という考えもあるが~それはバブリーな世界観だな。村や町に住むということは、まっとうな生活を営むことが底にある。
 赤字路線と騒ぐことや、有料の市電や町鐵はもう一度考え直した方がよいな。

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2012年4月15日 (日)

NHK平清盛(15)嵐の中の一門:兄弟

承前:NHK平清盛(14)家盛決起:千年の藤原家
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 摂政・藤原忠通と左大臣・藤原頼長
 平清盛と平家盛
 平忠盛と平忠正
 平時子と平時忠
 崇徳上皇と雅仁親王(後白河法皇)
 平重盛と平宗盛

 平家物語の世界は、良きにつけ悪しきにつけ、兄弟関係がいろいろなところで重要な鍵になってくるようです。以前に予習しましたが、保元・平治の乱も兄弟・親子が敵味方に分かれて戦いました。むごいことですね。

 今夜の見どころもいろいろありました。
 西行や信西法師がでてきたり、得子さんが美福門院になられたり、……。

 一番に押すのは、高野山の血曼荼羅制作秘話(笑)とでもいうような、清盛入魂の曼荼羅が完成するまでの話です。一門の結束をかためるには、佛さまの力が必要だったのでしょう。

 また来週。
 (ますます面白くなってきたが、まだ、いろいろ言われておるのかなぁ。今夜も随分、よいドラマと思ったよ)

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2012年4月14日 (土)

京都・嵐山渡月橋の桜(4月13日)見頃

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 もう今年の京桜は見られないと半ばあきらめていましたが、ついちょっと昼食に足を伸ばした嵐山で、見頃の桜に出会いました。
 構図としては絵はがきっぽい普通の写真で、渡月橋と嵐山とが同時に写ってそのうえ桜となると、いささか欲張りに徹したものとなりましたが、私はこうした普通の俗にまみれた気持ちを大切にしております。
 本心は、渡月橋の上にある、父が60年前に施工した堰堤と、それを飾る桜とを掲載したかったのですが、あまりによく撮れていて見ていると涙ぐむので、掲載を止めておきます(笑)。
 ~
 近場の嵐山の桜や紅葉は、人の波にさらわれそうで滅多に近づかないのですが、今年は何の気なしにでかけて、満足しました。
 帰路、天神川の桜は満開でしたが、あまりに美しく疲れそうだったのでそのまま車窓から眺めるだけにしました。桜花の美しさは人を惹きつけもしますが、過剰の美に気持ちが追いつかないこともあるわけです。今春は、あっという間に月の半ばになりましたが、行事も多く神経も使い、桜美に追いつけなかったという感慨しきりです。

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2012年4月12日 (木)

小説木幡記:今年の春、雑感だな

Simg_7536 もう残酷な四月も半ばになった。昔はずっと「四月は残酷な月だ」ではじまって、るる所感を述べておったが、近頃は追われ追われて気持ちをまとめることもできぬまま、あれあれと五月連休に突入してしまう。
 さて、五月の連休はどうしよう。
 と、よい考えも浮かばない。丁寧に近所、滋賀や奈良や嵯峨野を歩き回るつもりだが、それはそれで休暇祝日の出歩きはほこりっぽい。
 うむうむ、そこで思考がはたととまる。

1.近頃の食生活
 あたたかいご飯。納豆と大根おろし。焼き魚。味付けのりと味噌汁(油揚げやほうれん草や豆腐)。
 これが実にお気に入りだ。

2.近頃の写真撮影
 なんとなく桜の季節をうまく撮れなかったのでその挽回のためにも、近場の嵯峨野嵐山を細かく写すつもりだ。
 最近は近江八幡へ学科でまとめて行ったので、沢山写した。沖島がよく撮れておった。

3.近頃の人生観
 やけに深く考え込むようになった。怠惰であることと自分の考えや感性を磨ぎだすことのバランスだな。
 ああ、誤解なきように言うと、余の怠惰とは自動的に出来ることだけするのが怠惰なのだ。
 たとえば、MuBlogだが、疲れが無ければほぼ自動的に記事を書ける。
 沢山の授業も、ほぼ自動的。会議も自動的。
 読書も研究も論文も、全部自動的。
 これらはすべて余の怠惰の証。
 さて。

4.鉄道模型制御
 一応、JythonとかPythonとかのプログラミングレベルに入っておるので、なかなか自動的に記事を書けぬ。
 おもしろいが時間がかかって、鋭さがまるでないヤキの回った自分に気付いて辛いことも多い(笑)。

5.読書
 おもしろき本は沢山あって、珈琲のむみたいに読んでおるが、ただそれだけのことが多い。
 つまらぬ。
 と、言ってしまえばおしめぇよ。と、もっとオモロイ本はないかと探し回る。
 あはは。

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2012年4月 8日 (日)

NHK平清盛(14)家盛決起:千年の藤原家

承前:NHK平清盛(13)祇園闘乱事件:鳥羽法皇・圧巻
NHK大河ドラマ公式あらすじ

A:藤原家のお家芸:策略
 今夜の悪左府(山本耕史)の手練手管をみていて、うーむとうなりました。いやはや若い男を掌(たなごころ)に乗せて、十重二十重に絹の戒めをかけて籠絡していくのですから、これぞ、鎌足、不比等さん以来の藤家千年の秘策と思いました。実は、この頃はまだ千年も経っていなかったのですが、奈良時代を経過してその後ずっと陰に陽に摂関家としての実力は保っておったわけです。おそらく昭和初期までは。

 しかし悪左府頼長の美青年好みまで大河ドラマに出てくるとは~、ここでデコをぽんと叩いて、大河ドラマスタッフの根性に恐れ入りました。それにしても、公卿の生態がみてきたように描かれていて、手に汗握りましたよ(笑)。

 ここでまとめてみると。
 結束堅い敵側を戦わずして降ろす方法は、分断作戦が一番。要するに、自壊するように仕向ける方法。
1.官打(かんうち)
 敵グループの対抗馬になりうる人物に、異様なまでの高位高官を授け、突出させる。
2.亀裂
 このことで結束の堅い、兄弟仁義で結ばれたグループと言えども、対抗馬が突出する。
3.傀儡
 タイミングを見て、対抗馬が本来のトップを追い落とすのを手助けし、その対抗馬をトップにして、操る。

 この事例で史上有名なのは、後白河法皇と軍事天才源義経と、鎌倉幕府創設者源頼朝との関係。義経は頼朝に伺いを立てる前に、朝廷から官位を授かった。その後の兄弟破綻は誰でも知っている。以前の大河ドラマでは、義経と頼朝との結束を一番嫌ったのは、北条政子の実家だったとなる。司馬遼太郎さんの話にもよくある。

 ~
 話が長くなるので手短に。

B:源平の違いを考えて見る

 源平の雰囲気的性質は(検証したわけではないから、雰囲気)、一般に平家の方が兄弟仁義が堅いというか、一門の仲が良くて脳天気なほどに明るい。それに比べて源氏は、頼朝の性格もあったろうが、平氏に比べて少し暗い。結果的に源氏一門は、内部抗争、内ゲバが多くて自滅してしまう。実は中国史でも事例はあって、北方系侵略国家は肉親兄弟殺し合いをして、瞬く間に王朝が自壊していく。

 ~
 と、今夜はそのAとBの二つのことを考えながら、ドラマを楽しんだ。  

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小説木幡記:近江八幡の桜はまだでした(4月6、7)

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↑近江八幡・休暇村から撮った、早朝の沖島

 大学の3年生学科研修でバスを連ねて滋賀県近江八幡へ行った。余の役割:受け持ちは、早朝の浜辺のゴミ拾い。クリーンなんとかという美称があったが、要するに学生達との早起き掃除。参加者は、~、あははのは。午前7時過ぎといえば、日頃、余が一仕事終えて葛野研で珈琲を飲んでいる時間だが、あいにく若者達は白河夜船状態だな。さすがに、同僚達は数名起きてきた(笑)。
……・。
 しかし、4月とはいえ今年は寒さが続く。ひとしきり浜辺の吸い殻やビニル袋をかたずけているうちに手が冷えて痺れてきた。みぞれまで降ってきた。学生達が風邪をひいては大変なので、はやばやと打ち切った。
 ところで、早朝のクリーン参加学生は全員福祉系の若者で、これで日本の将来も安心だが、肝心の余の教育・司書系ゼミはゼロだった。未来の教育界や図書館世界はこれで終わりじゃ、と暗澹たる気分(嘘です)。

 ということで、一泊した内容はおいておくとして、近江八幡の桜を切望していたが、残念ながら初日の休暇村でも、翌日の市街でも、桜はみつけられなかった。八幡堀あたりも、一人で探索したが、寒かった! だからこそ、近江八幡の桜は月の中頃に満開なのだろう。
 また、来年だね。


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2012年4月 5日 (木)

京都・広沢の早朝佐野桜(4月5日)まだまだ

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 今朝、嵯峨野広沢で数十枚撮りました。
 ケレンのないスッピンの佐野桜を選びました。
 ご覧ください。私はこの雰囲気が一番好ましいわけです。そしてまた、満開にいたるまえ、まだ咲き初めの~が、よろしいなぁ。

 今日の京の天候は、午前は花曇り、夕刻五時頃から雨になりました。花びらが散らぬように願っております。
 明日は、行事で滋賀県・近江八幡です。
 桜の開花は調べずに、楽しみにしていきます。


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京都・祇園白川辰巳橋あたりの4日夜桜

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 2012年4月4日の京都夜桜情報。
 祇園・切り通し、辰巳神社、白川南通りあたりの夜桜は4日夜にも咲き始めておりました。

 円山公園は昨夜はまだまだだったので、週末あたりでしょうね。
 ともかく、京都の祇園、八坂神社、円山公園は夜桜もまだというのに、人で満ちあふれておりました。大晦日、新年のような賑わいで、お化け屋敷までありました。
 インドやトルコの屋台もいつも通りですね。
 ということで、今週末は本当に桜桜桜となりましょう。

 なお、写真の白川、辰巳橋通りあたりは柳と桜がこきまざり、なかなかよい風情でした。
 ではまた後日。


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2012年4月 4日 (水)

小説木幡記:桜はまだかいな

↓京都嵯峨駅前の嵯峨野トロッコ(ジオラマ)で撮影
Muimg_6328 新聞やTVニュースでは、都にも花が咲き出したとのこと。宇治木幡近くの様子では「まだまだだな」と思うが、つぼみが少し開くと、開花というらしい。

 ところでむかしから「花は桜木、人は武士」という言葉があった。その意味は余の中では確定的だが、世間では様々なようだ。
 それはそれでよい。
 で、桜木の読み方だが、最近ラジオでは、「おうぼく」とDJが読んでいた。余は横浜にサクラギチョウエキがあるので、長年「ハナハサクラギ、ヒトハブシ」と口ずさんできたが、はて?
 桜花はオウカだが、桜木をオウボクとよむのは、慣れていない。余生もずっと、サクラギと読むつもりだ。
 だから、
 入学、卒業式を世界標準にあわせて東大などが秋にする予定と聞いたが、余生はずっと、桜咲く入学式で行きたいものだ(笑)。習慣は変えにくい。変えなくてもよいなら、変えたくない。
 喫煙という40年間の習慣を止めて、この4月で2年経過した。その間、一本も吸っていない。
 だから、喫煙という習慣は禁煙という習慣に変えた。
 桜は4月頃に咲いて、人生の門出を祝う。この習慣は変えたくない。
 秋入学なんて、まっぴらだ。
 (いまさら、東大に入ろうとも思わないがね、ウケケケ)

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2012年4月 3日 (火)

小説木幡記:春の嵐吹く

Muimg_5519 昨夜からTVやネットで分かっていたが、今日の京都の午後は凄まじかった。自動車がライトを点けて走っていた。そして、行事が終わり、ほんの数十メートル歩く間に強風だけではなく、本当の雹(ひょう)がびしばしと墜ちてきた。真っ昼間なのに真っ暗で雹が突き刺さってくる、これはまさしく魔法の世界だ。
 「風よぉ、嵐よ、雷鳴よ」と、魔法使いが杖でも振っていたのだろう。

 そしてまた。自宅について午後7時前の宇治木幡、これがまだびゅうびゅうと風が吹いておった。嵐というよりも暴風雨だったが、昨日の天気予報では暴風警報はでていなかった。ああいうのは台風専用の用語なのかもしれない(笑)。

 いちいち調べはせぬが、関東の方ではのきなみ電車がとまったようだ。
 京都や宇治では、阪急電車も京阪電車もはしっておった。
 はて。
 所変われば品変わる。

 明日は夕方に花見に行こうと思っておるが、晴れてくれよ。

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2012年4月 1日 (日)

NHK平清盛(13)祇園闘乱事件:鳥羽法皇・圧巻

承前:NHK平清盛(12)宿命の再会:まだ序盤
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 死んだ白河法皇が生ける鳥羽法皇(三上博史)を走らせた。
 死んだ祇園舞子が生ける宗子(和久井映見)を走らせた。

 私は京都の八坂神社を無意識に「祇園さん」と呼んできた。昔は祇園社と呼ばれていたのが、祇園祭や祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の話とあわさり、京都ではやさしげに「祇園さん」と言うのだろう。
 その祇園さんには牛頭天王(ごずてんのう)がまつられていたが、現代の八坂神社の祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)となっていて、なかなか話が難しい。二神はあわさっているようだ、……。その話はおいておいて、要するに、昔の祇園さんは神と仏がご一緒していたので、勢力あった天台宗・比叡山延暦寺(開祖・最澄さん)の影響下にあった。

 そこで。
 清盛が一統と祇園社にお参りしたときに平氏郎党と祇園社の人達とがケンカになった。それを平氏が咎められた話だが。ドラマでは、清盛の処断に躊躇する朝廷・鳥羽法皇への嫌がらせに延暦寺が強訴(ごうそ)を起こした。そこに御神輿(おみこし)がでてくる。寺がなぜ御神輿かと、ここでも疑問がでるが、強訴とは坊主たちが(というよりは、寺を守る半無頼の輩)延暦寺の滋賀県側ふもとの日吉大社・御神輿を担いで、都になだれ込んでくるわけだ。当事者である平氏の代わりに源氏がこの制圧にかり出されるが、一応、主役の清盛が御神輿に矢を射ったことになっている。

 神仏に矢を射るというのは、当時の人、いや現代人にとっても、恐れ多いことで、なかなか普通の人にはできない。また、すべきでもない。しかし宗教はそのときのそのときのリーダーによっては実に愚かしく凶暴化することがあるので、それに対応する武力装置(笑)たる者は矢でも鉄砲でも放って制圧せざるを得ない。宗教側ではこれを法難としてあつかい、制圧側は淫祠邪教を打ち払ったとするが、仏教は強大な力を持っていたから一筋縄ではいかなかった(法皇さんというのは、仏教に帰依つくした姿でもある)。
 だから、長年の間、政治権力の中枢にいた白河法皇ですら、思い通りにならぬこととして、
   賀茂川の流れ、
   双六の賽の目、
   山法師の強訴、
の三つをあげたという説がある。

 自然水害は治水をつくしても想定外の状況があり、バクチはいかさまでもしないかぎりは時の運、そして宗教教団が神仏を盾にして政治に横やりを入れてくると対応に苦慮する、……。この三つは世界史共通のことだろう。

 さてドラマの結論。
 死んだ白河法皇の落としだねといわれる清盛が神仏と諍いを起こして、その尻ぬぐいを白河の孫の鳥羽法皇がせざるを得なくなった。いつまでたっても白河法皇に踊らされている! と、鳥羽法皇は嘆き怒る。治世への至らなさを悔いているともいえる。

 また、死んだ舞子が夫・忠盛の心を未だにかき乱し、その息子の清盛を夫は大切にしすぎる。忠盛の後妻の宗子は舞子と夫・忠盛を結びつける清盛を前にして、無力感に陥る。

 いずれも今は亡き人達の影響力が現実を動かしていくことの是々非々がドラマの焦点になっておった。幻影なのか、本当の因果応報なのか。おそらく、今生きている人達の現実解釈に過ぎないと思うが、人はその幻のような解釈の如何によって生きもするし死すこともある。人の世の難しさだな。

追伸
 鳥羽法皇の三上博史さんの演技は迫力があるな。
 そして、法皇の衣装装束の着こなしは、ものすごく洗練されておる。いわゆる、かっこよい、と思った。

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