小説木幡記:暴力装置とか王家の犬とか~平清盛像
毎週NHK大河ドラマ「平清盛」を楽しんでおるが、ネットで眺める限り、評判がよろしくない。画面が汚いとか、左翼的言辞が多いとか、歴史無視とか、~またドラマ関係者たちの確執(とくに女優間)、お色気路線、……。視聴率が低いとは言っても10%をこえているのだからたいしたものだが、大河ドラマは20%を越えないとそこら中で叩かれるようだ。関係者の苦労もしのばれる、脳。
余が感じたことをいくつかメモしておく。
1.お色気
たいしたことではないが、夕食食べながらのTVで、女優が男優に組み敷かれている場面になると、ちょっと引きますなぁ。
2.騒がしい
清盛や海賊が大声で怒鳴り合っているのを聞くと、うるさいな。耳をすませると、なにか子どもっぽい理想とか正義とか「面白く生きる」とかどうとか。ばかばかしい。たしかに子供だましのセリフが多い。
3.王家の犬
以前に、「暴力装置」という旧左翼系社会学の学術用語を日常で使ってもめた政治家がおった。旧左翼の意地悪い翻訳語をそのまま使ったのがアホなんだろう。武力装置(笑)といえばニュアンスも少し変わるのに。で、「犬」という言葉もドラマだから史実よりも雰囲気や流れが大切だから、犬でも猫でもロバでもよいのだが、平氏や武士階級を「王家の犬」と連呼するのは、自虐的すぎる、脳。
まるで警察官や自衛官が、「わてらは国民や政府の、犬どすえ」と叫ぶようなもんじゃ。
(狂犬よばわりでなくて、まだよしとするか、(脚本)清盛さんよ)
警備会社や警備員が「おいらは、この会社の雇われ犬、暴力装置でっす」というようなもんじゃ。
武力は、単純に職能にすぎない。
自分自身の仕事を自虐的に言い出すときりがない。
(医者や坊主や教師なんて、恥ずかしくなるじゃないか、のう:ああ、暴力装置を自在に操る政治家も)
4.セリフが聞こえにくい
余の耳が遠くなっておるのは事実だが、それにしても、特に女優さん達のセリフが聞き取りにくい。
いや、男優もか。
現代のドラマ役者達は、もごもご言うのが上等なのか? まさか。
いや、あえて聞かせないのが上手の証なのか? (紙背、行間を読め! とか(笑))
相当に音量を上げて何度か聞き直さないと、理解できないセリフというのはちょっとおかしいな。
(他のドラマではそんなことはない)
5.~と。
いろいろあるが、もうよかろう。
ドラマというのは見るに堪えなくなればTVを消すしかない。
国民の貴重な視聴料をつかって~という批判はあってもおかしくないが、余はそういう話にはかかわりたくない。余は今年の「平清盛」は、清盛を悪逆、悪役の視点から一歩抜け出した人物として描くのが楽しみなのだ。アチチと熱病におかされて地獄に堕ちた清盛というイメージでは、どうにもならぬ。
そう思えば、ここ数週間の明るく騒がしい清盛がどんな風に成長していくのかを見るのは、楽しみなのだ。
だから、NHKもあんまり視聴率に凹まずに、偉大なる「平清盛像」を盛り上げていけば、よろしかろう。
ただしかし、「王家の犬」といじけたセリフを吐くのは、もう聞きたくない脳。
そりゃ、自虐きわまる愚痴でっせ、(脚本)清盛さん。
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コメント
ちょっと欲張りすぎのような
平清盛は時々目にします。
視聴率が低いと聴き、どうしてだろう?と考えてみました。
当方にはその理由がよく分かります。
見る人が没入できないのですね。
映画やドラマでよくできた作品は(見る人が見たいものを見せる)という鉄則があるように思うのです。
一本あるいは数本のハッキリとした線があって、それがどうなるのだろう?どうなるのだろう?と見る人が追っかけるようになるとしめたものです。
今の平清盛では肝心の主人公のその線がまだありませんね。
その代わりに周りの人々の話がやたらと出てきます。
作者はどういうお方なのだろうとNHKの番組ホームページを見ますと以下のようにありました。
(脚本家のことば 放送にあたって
人間という存在の弱さ。たくましさ。愚かさ。おもしろさ。強さ。美しさ。やさしさ。儚さ。かなしさ……。
そのすべてを、激動の平安末期を生きた人々の姿を通して描きたいと思い、この壮大な作品に取りかかりました。)
などとあります。
なるほど今のような作りになるはずですなあ。
投稿: ふうてん | 2012年3月16日 (金) 10時33分
こまりました、ふうてんさん
よもやふうてんさんがおいらのドラマ話をよんでいるとは、本当におもいもよりませんでした。もともと歴史大河ドラマはお嫌いでしたでしょう?
さて。
先月かな、アラビアのロレンスの完全版をNHK-BSで録画しまして。
さいしょからというよりも、思い立ったら、その適当に、部分部分を数度ながめてきました。
結論は
たしかに「それがどうなるのだろう?どうなるのだろう?」も大切だけど、
あの砂漠とロレンスと人間の分かりにくい心と、……。画面一杯に迫ってきます。どうなるやろか、よりも先に、もうその画面をみているだけで、涙ぐみうなり声を出していました。
あの監督とかカメラとかロレンスとかオツールとか、本当にものすごい映画を半世紀近く前に「人」は造っておるのですねぇ。
感動とか言う前に、すさまじい人間の想像力とか美意識を骨の髄まで味わいました。(わずかに一回見るのが20,30分なのに)
~
だから。
平清盛も一致団結して造れば、また視聴率もあがると、私は人間を信じたいですね。
投稿: Mu→ふうてん | 2012年3月16日 (金) 12時57分
大変面白く読ませていただきました。NHK平清盛のドラマ感想について「同感」ですね。SA-SANの感想を一言で云いますと、あちらこちらを見たり聞いたり言ったりと、忙しく五月蠅く、臨場感やスピード感をはき違えているように思います。それに王家は歴史の事実が明らかで証拠があっても、もう少し品よく清らかにその存在を表現してほしいですね。現在の現実の天皇家は国民の象徴として美しくあられますから・・・
投稿: ぶらぶら敬天愛人 | 2012年3月23日 (金) 00時22分
ぶらぶら敬天愛人さん
以前どちらかでコメントいただけたような、西郷南洲翁ではないと思いますが~。
ドラマと歴史的事項との重なり合いが難しい時代かもしれません。清盛一人の視点で描けばもう少しすっきりしてわかりやすくなるでしょう。けれど大河ドラマだから、大河風に描く必要もあり、視点が乱立して、見ている方は、眼が回り、感情移入できないのではないでしょうか。(ふうてん論と同じです)
それと。
保元の乱、平治の乱はまれに見る敵味方肉親混線の内乱というかクーデター、宮廷革命~要するに難しいところがいろいろあって、一刀両断の解釈(どなたかの立場:多分清盛側でしょう)を見せないと、ドラマとしてはとらえどころのないものになってしまう、そういう危険性があると考えます。
だから今後、歴史事実を点描していくだけで本当は自然な臨場感やスピードが生まれるわけですが、なにしろ背景をまるで知らない現代日本人に見せるドラマですから、なにから言ってよいのかわからないのが制作者側の苦渋でしょうね(って、みてきたような、講釈師)。現代は猿のようにケータイ、スマホを操っても、日本の過去なんかにはまるで興味のないアメーバー男や女が繁茂しておりますから。
今は清盛を単純細胞の男扱いしていますから、本当はわかりやすいはずですが。結局、単純なマンガの影響がありすぎて、現実のおもしろさを掘り起こすことに手が回らないのじゃないでしょうか。
~
というわけで、大王家(なんか嫌みな書き方ですが)とか不比等末裔の世界を糞リアリズム風に描く方法を、今は採っていると考えればわかりやすいですね。男女のスキャンダルと政治、マツリゴトとが、皇位継承などで直結していた面もありますから、素直にえがけばこうなるでしょう。
ただし。
表現というのは、その「素直」さの色合い、色違いに妙味があって、今回のが上等かどうかは、初夏くらいまで待つつもりです。
NHK大河ドラマは大抵初夏にはおちつくもんです(笑)。
と、いっちょまえのことを書きましたが、Muはまだ毎週日曜夕刻を楽しみにしています。それだけ、興味津々、善意の眼で見ておりますよ。
投稿: Mu→敬天愛人さん | 2012年3月23日 (金) 04時35分