NHK平清盛(12)宿命の再会:まだ序盤
承前:NHK平清盛(11)もののけの涙:さて、どなたが物の怪か
NHK大河ドラマ公式あらすじ
源義朝(鎌倉幕府を開いた源頼朝の父)が東国から帰還し清盛を顔を合わせると舞台だが、まだ両者ともに頭角を現していないので、なんとなく子供のケンカがまた始まった、という印象。今のところは、それでよかろう。
待賢門院璋子さんが亡くなった。臨終にたちあった鳥羽法皇(上皇が出家すると法皇)を近習が2人がかりで病室から引き離した。なにか、流行病をイメージしていたのだろうか。璋子(たまこ)さんは45歳というていたから、当時なら若死にではなかっただろうが、白河法皇の寵を受け、白河法皇の孫の鳥羽さんに嫁ぎ、~。ドラマでは、鳥羽さんとの間に生まれた崇徳天皇は実は白河爺さんの子どもだったという、驚天動地の解釈だった。だから、ともかく実子の崇徳さんと、亭主の鳥羽さんとが仲がわるくて、璋子さんはそれも苦しいわけだ。もちろん、鳥羽さんが後釜に得子(なりこ)さんをそばに置き、崇徳さんの次の天皇になる方の母(国母)にしてしまったわけだから、璋子さんの心中はますます複雑になり、出家し、病に倒れた、となる。
歴史としては、今後は得子さんが采配を振るうようだが、それだけの実力を備えた得子さんが、璋子さんの前に立ちふさがったのだから、今夜の璋子さんの死は、なかなかに悲痛なものだった。鳥羽法皇はその気持ちを知るや知らずや、一時は得子さん以外を無視したのだが、最後は璋子さんの死に号泣しておられた。
と。
こういう醜聞に近い物語も、ドラマだから、それぞれ人の心の綾を上手に描けば、感動があるものだ。私は、璋子さんがいささか脳天気な女性に思えていたので、得子さんの方に肩をもっておった。鳥羽法皇が最後に璋子さんに心を戻すのは、得子さんが、頭の良すぎる・冴え渡る女性だったから、ぼんやりした璋子さんの方が、可愛かったのだろうな。
源氏や平氏のことは、ぼちぼち。
時子さんがなかなか明るい後妻をふるまってよかった。
時子の弟、時忠は中盤以降、重みをますだろう。
【予習復習】
白河上皇、鳥羽上皇、~そして後鳥羽院とたくさんの上皇がつかった鳥羽離宮は、私が車に乗ったときは、よく使う行き帰りの道にある。国道1号線でいうと、名神高速・京都南インターチェンジの南側にあたる。広大な敷地で、東にある現在の城南宮もそこに含まれていたようだ。
増鏡の有名な一節として、後鳥羽院の巻で、「鳥羽殿、水無瀬殿、修理せさせたまひて」とある。鎌倉時代初期には修理して使ったという意味か? とすると、常時使われていたわけでもなさそうだ。~。
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↑鳥羽離宮跡
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