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2012年3月18日 (日)

NHK平清盛(11)もののけの涙:さて、どなたが物の怪か

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NHK大河ドラマ公式あらすじ

 平清盛の長男は最初の妻(明子)との間に生まれた後の平重盛となる。いわゆる「小松殿」と呼ばれた人である。(明子の次男・基盛は20代に亡くなる。)
 平家物語では重盛の屋敷が六波羅近くにあって~と知るが、これは「物語」つまり虚構だから、事実がどうなのかは分からぬ。ところがその物語によって後世の人達は重盛を、父・清盛と、後の後白河法皇という、ふたりの強烈きわまる濃い政治家の間を取り持った、洞察力と良心に優れた人と思っている。
 それでよかろう。昔の事は誰にも分からぬし、たとえタイムマシンでそばに行っても、その人の心中や政治的配慮陰謀計画は、分からぬものである。

 今夜は、崇徳天皇が譲位し幼い実子に皇位を譲るため、得子(なりこ)の進言によって、まず父・鳥羽上皇の息子を養子とし、中継ぎとし、そこで崇徳上皇として政(まつりごと)に力を尽くそうと考えられた。だが、実は皇太子としてではなく皇太弟という形で天皇位が譲られたので、崇徳上皇は「弟」を指導する立場がなくなった。皇太子として表現されたのなら、父として息子の新・天皇に対して指導力が及ぶが、弟に位を譲った場合は、無理がある。つまり、依然として政は新・天皇の実父の鳥羽上皇が指導することになる。

 ややこしい話だが、もともと譲位したあとの元・天皇が上皇として君臨する制度(院政という)は、実子を皇位に就けることが目的だった。そこに自分の兄弟や親族の介入を拒絶する考えが最初にあったわけだ。だから結果として弟に皇位を譲った限りは、(理屈の上では皇太子として譲位されない限りは、)崇徳上皇の政は動かない。壬申の乱で兄・天智天皇と、弟・天武天皇の関係があって、兄の息子「大友皇子」は、実父の弟に討たれたわけだ。天智天皇は生前、このことを半ば予見していたと考えるのが自然だ。

 ここで疑問は、なぜ崇徳天皇は不利になるかもしれない鳥羽上皇の皇后・得子(後の美福門院)の意見を取り入れたのか。
 そして、皇太子や皇太弟としての、その違いを意識して譲位・即位の詔に組み込んだのは誰なのか?
 と、いろいろ疑問が残るが、ドラマとしてはいろいろ陰謀があった、程度でよかろう。
 謎解きは信西あたりが、とうとうと述べてくれないと、よく分からぬ。


 また今夜は、清盛の最初の妻「明子」が長男・重盛、次男・基盛を残したまま若死にした。これは、もらい泣きするほどに悲しい出来事だった。

予習復習
 平重盛が小松殿と呼ばれていたのは知っている。だから小松殿がどこにあったのか調べだした。すると一応の解として京都市東山区の正林寺とあったのだが~これが本宅とか別宅とか、記事によって揺れがあるので、ふと疑問を感じた。というのも、頭の中には六波羅蜜寺あたりとあったので、渋谷街道にそった京都女子大近辺では、やや距離が離れすぎなのだ。

 で、もうすこし記事を探してみると、「平重盛に会いたい」というのがあって、これが正林寺説への疑問にたどり着いて、別の学術的論文にまでふれていた。

 と、めぐりめぐって国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」に出くわし、そこに蓄積された「京都府立総合資料館」の解答にであった。で、解釈するなら、「正確には分からない」という、正確な回答があった。それでよいと思う。だいたい、六波羅蜜寺の南にあったのだろう。それ以上は研究者の説が定まるまで待つか、作家の直感に頼らざるをえぬ。


大きな地図で見る
↑六波羅蜜寺。この界隈に平家一門の根拠地があり、小松殿と呼ばれた平重盛屋敷はここより南東500mほどの位置と推測(邪笑)

追記
 レファレンス協同データベースを有効につかうには、その「簡易検索」機能を使うとわかりやすい。とりあえず、インターネット情報の玉石混淆状態からは免れられる。

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