NHK平清盛(09)ふたりのはみだし者:生まれてくるのが大ばくち
承前:NHK平清盛(08)宋銭と内大臣:悪左府
NHK大河ドラマ公式あらすじ
鳥羽上皇と待賢門院璋子(たいけんもんいん・たまこ)の間に生まれた雅仁親王(まさひと:松田翔太)は、さすがに破天荒な青春時代を送っていた。清盛にむかって、生まれてくるのが博打(ばくち)だと言い放ち、対して清盛は生まれ・出自は変えられないが、人生は自分で変えていくことができると言った。
どちらも一理あるが、今夜は生まれてくるのが大ばくちという考え方にちょっと惹かれた。もともと博打に嫌悪感はないが、20代から近づいてはいない。麻雀も花札も競輪競馬も、ルーレットも、……。近づかないのは実に簡単で、勝負に弱い、と青春時代に味わったからにすぎない。トランプや、双六、麻雀の卓を囲んで勝ったことがない! 勝てないことに執心するほど自虐的ではなかったせいか、やらないなぁ。パチンコとかルーレットは習慣性、依存性が強くて、大抵は家を会社を破滅させるものだ。
ゲーム、博打に楽しみなんて無いのさ。命がけなんだ。闘争血が全身を滾らせるのだろう、あはは。
だから、博打には近づかない。
しかし。今夜の雅仁親王は全身博打オーラが漂っていた。その雅仁に賭けたのも後の信西だから当時も今も、政治ゲームという大ばくちに身を投げ入れるのは、一種の病だと痛切に思った。ゲームだから、止めたくても止められなくなるのだろう。時にはうっぶんをはらすような座布団返しさえ組み込まれていて、一度味をしめれば、また、賭けに投じる。こまったものだ、人の心は。
~。
というのが今夜の大きな感想だった。佐藤義清(西行:さとうのりきよ)が待賢門院に手を出すのも、人の心の鬱玉を私ならほぐすことができましょう、いやほぐしてしんぜよう、という一種ののるかそるかの博打に手をだしたとしか見えなかった。金や地位を賭けるのが博打なら、人の心を操るのも博打の一種。西行のことが少し別の眼で見えてきた。ただ、言葉が流れ出る仕掛けは、どうにも博打仕掛けとは別の事にも思えるが、言葉がでてくるまでは、歌詠みは博打をしている気分かもしれない、脳。
ということで、今夜は博打に明け暮れた。それだけ雅仁親王の鬱玉が手にとるようによくわかったドラマだった、というのが結論か。
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