小説木幡記:時節がらの暖房談義
余が昼間滞在しておる葛野は京都の北ほどではないがここ数日の冷え込みは空気が身を切るように感じられる。
血がほとばしり出るような痛みさえ思う。
で、その研究室は時節柄暖房機が22度cに固定されており、いわゆる「とろけるようなぬくもり」はない。いくら温度を上げようとしても、液晶パネルはぷすとも言わぬ。なんらかの操作によって、制御機が全室固定温度になっておるようだ。昨年までは28度cを設定出来たが、今年は、くどいようだが「22度c」である。
がしかし、これも30分ほど部屋でじっとしておると、しらぬまにほかほかしてくるから不思議じゃ。保温性が高いのかもしれぬのう。
一方余のRSは天井知らずの暖房だ。30分も走るとサウナになってくる。外は数度だというのに贅沢三昧だな。今夕葛野を出る時は明らかにフロントグラス上に氷の粒がいくつも出来ておった。マイナス気温かもしれぬ。ワイパーを動かしたらガリガリと煽いでおった。しかしものの10分ほどで、室温が25度cになり、やがて熱帯に近づいていった。ありがたい暖かさじゃ。
帰路、ガソリンスタンドにはいり、かねがね積んでいたポリタンクに20リットルの石油を積めた。しめて1860円也。高いのか安いのかは分からぬが、一週間に二度ほど通う。綺麗なブルーの光を出す石油ファンヒーターは今年のヒットじゃった。故あって何十年も電気暖房だけで過ごしてきたが、石油のブルーを見ていると、それだけで暖かく思えてくるこの冬である。
じゃがしかし、別の書斎ではガスファンヒーターを新たに考えておる。石油を運ぶのが結構手間かかる~な。週に2回が限度じゃね。
ところでMuBlogを月火水と休んでしまった。別に他意はないが時々かくことも尽きるからな。今日とて、暖房がどうのとメモっても意味はない(そうかな、今日の京都や宇治は何年ぶりかの最低気温のようだ)。しかし、旧知たちにはかねがね、「MuBlogの掲載が止まったときこそ、余のサヨナラだ」と言ってあるから、皆の衆が無用の気働きをせぬように、時々はこうして記すなり。
たとえ、単なる「京都は寒い」記事でもな。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント