小説木幡記:パンとサーカス「日本の自殺」
流行の芥川賞作品を読もうと思って、雑誌・文藝春秋 3月号(2012)を書店で手に入れた。さっき夕飯を済ませてベッドに横臥しておもむろに目次をみたら、1975年の同誌に掲載された「グループ1984」の手になる予言書(笑)の再掲だった。37年も昔の話なので指折り数えてみたら、まだ余が20代だったころの論文「日本の自殺」なんだ。
そこで。
さっき一気に読み通した。
難読症の疑いある余がなぜすらすら読めたかというと、余は20代初期にAJトインビーの「歴史の研究」にのめり込んでいた。同世代学友諸君がマルクスなどに没頭している時期に、AJトインビーなのだから、余の今の物の考え方が、グループ1984に親近感を持ってもふしぎではない。さらにトインビーの時代にオーウェルの「1984」も読んでいた。要するに、この昔の予言書「日本の自殺」は余の十八番(おはこ)に極めて近い世界観なので、一気に読んでしまったわけだ。
さらに。
余は読書好きだが、刺激の耐性が弱く、一冊名著を読むと数年間は他をうけつけなくなるくらい影響を受けてしまうから、合計すると、めったやたらに活字は読まぬ。いや、読めぬ。それゆえに、再掲『日本の自殺』はこたえる内容だった。勿論年齢的に、刺激の耐性よりも、反応が鈍くなってはきたが、それでも単純明快な「パンとサーカス」が文明崩壊の前兆であり、おそらく國も民族もそれで滅びるのだろう。さすれば、我が国の崩壊は目前に迫っておる。
これをせき止める方法は如何に?
今からでもおそくはない、大学でエリート教育をすべきだと思った。結局、次世代があるとしてそれを担うのは今の若者なのだ。男であれ女であれ、國や組織や家をとりまとめていくのは、今の若者だからこそ、若い内に徹底的にしごいて強靱な精神を育て、義務と責任をうけとめ大局観を持つような、そんな若者をそだてなければならない。それがエリート教育である、……。と、そんなあたりまえのことでエリートになるほど現代は荒んでおるのか。
ただしかし教育は古来手間暇のかかるものだ。
なぜ、そこが駄目なのか、言って聞かせて見せてやって、自ら試ささないと駄目なんだろう。
手と足を、身体をうごかし机上で沈思黙考し、小さく典型をテストして、きっちり実行しなければ経験が血肉にならぬ。と、教え込まねばならぬ。
と、いろいろ読みながら別の脳であれこれ考えておった。
しかしこれはロートルの仕事ではないな、とふと思った。
余はのんびりと余生を過ごすのがよいのだろう。
さて、……。
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