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2012年2月 4日 (土)

吸血鬼と精神分析/笠井潔:ミステリもよいものだと痛感

序症
 パリを舞台に、週末ごとに起きる連続/血抜き女性屍体、とくるとぞわぞわと背筋が氷る。吸血鬼が20世紀末のパリに現れたのか、そのヴァンパイアーを精神分析した物語なのか~と、思う人が居るかもしれないが、まるで違っている。
 笠井潔の「矢吹駆(かける)」シリーズの第6作は、フランスにおける精神分析界のフロイト回帰学派・大御所(ちょっと古い言いようだ)ジャック・シャブロルを相手にルネ・モガール警視やバルベス警部、そしてルネの娘で本シリーズの中心人物・パリ大学生のナディアが大活躍する活劇小説なのか~と、それも相当に異なる。ただし別の印刷物ではシャブロルとはまたの名をジャック・ラカンという実在の思想家であるとは公開されていた。

1症:みどころ
 異なった事件の同質性と異質性とをカケルが分析しよりわけて、そのことが同時にナディアの外傷性神経症を癒していく最終過程がよかった。

2症:疲れる
 世間の名探偵が事件解決に快刀乱麻のきらめきを見せるのとは異なり、カケルの対応は理屈に理屈を重ねる手法である。つまり、一般名探偵が事件を単純化したり、おおざっぱにまとめ上げる(ご都合主義)のに比べて、気が遠くなるほどの哲学論議というか思考に思考を積み上げて、やっと一つの解を見せ、それでも残り頁数が100以上あって、「それも可能性のひとつ」となって、「しかし、こうもかんがえられる」と次の症に入る。疲れる。

3症:神と精神世界
 フィクションとして、フロイト以降の精神分析や学派の違いがよくわかる。ユング分析心理学は意外にも少ないのが私にはわかりにくかった。つまり、たとえば、フロイトはすぐに「ファルス」を持ち出してくるが、なにかしら女性にはわかりにくいことだろう。そういうところがラカン(小説中だとシャブロル)説に対するナディアの質問疑問によって「そうだ、そうだ」と肯ける。しかしユングが神話的物語をネタに学派を立てたことからすると、この小説がユングを極小扱いしているのが、かえってわかりにくい。うむ。
 ところで。
 舞台がフランスのせいか、どうしても旧約聖書世界が描かれる。そこで読みながら思った。向こうの学問が旧約聖書のような世界を文化の普遍とみなして現代人の精神や科学や社会全般まで普遍的に騙るが、それは同一人類の日本民族に当てはまるのかどうか。また、フロイトやラカンの考えが、文化伝統を相当程度異にする日本にあてはまるのかどうか~と、考えながら読んでいた。私は今になっても他国の神のことを理解出来ぬ。

4症:まとめ
 ミステリとして、『哲学者の密室』や『オイディプス症候群』に比べて後味が一番よかった。ナディアが硝子面に写った自分の姿を見るのをみて、気持ちがすっと晴れた。もちろん、その前にカケルが結末を意外な展開に引っ張っていったことが、ナディアの苦しみを溶かしたとも言える。

追伸
 現代ミステリは痩せ細ってはいない。笠井潔の『吸血鬼と精神分析』は、20~21世紀にわたるわれらの時代の一つの課題を解き明かした。と、思った。それは人が何故理不尽な行為をするのかというナディアの疑問に答えた作品だからである。薬では治らない心の治療法を現代人は喪ってしまっていた(宗教、呪術、道徳の喪失)。現実の精神療法が持っていないものを取り返したかどうかは知らぬが、すくなくともこのミステリを完読したとき、すっとした。それが快癒というものだろう。

参考までに>精神分析や解離性自己同一障害

メルクマニュアル家庭版 心理療法、
 精神疾患の治療の一つとして心理療法があり、それには{精神分析、力動的心理療法、認知療法、行動療法、対人関係療法}の5つがあると記してあった。

 精神分析は、心理療法の中で最も古い方法で、20世紀初頭にジークムント・フロイトが創始したものです。患者は週に4〜5回、心理療法士のオフィスに置かれた寝いすに横たわり、
~略~
 力動的心理療法は精神分析と同様に、現在の思考、感情、行動における無意識のパターンを認識することに重点をおいています。ただし、患者は寝いすに横たわるのではなく、通常はいすに座り、通院も週に1〜3回です。
~略~

Mu注:上記引用で、精神分析は患者が寝椅子に横たわり、力動的心理療法は椅子に座る、とこの違いが大きいらしい。が、何故かの詳細は知らぬ。知っていると専門家のようだ。
 このような心理療法が行える専門家には精神科医の他に、臨床心理士、カウンセラーなどがある。このうち精神科医は薬を処方し、入院許可が行える。他の専門家には出来ない。

 解離性自己同一障害についてもいろいろな情報はあるが、ここでは二重人格、多重人格としておく。私は「分身:もう一人の自分を見る」も多重人格の一つとして解釈しておいた。このミステリは少し単純化しないと読み解けない重さがある。学術世界では、対象(症例)を厳密厳格に分類することで学がなりたっているふしもあるが、心の世界では解釈する学派の違いが大きくて、門外漢からみるとまるで昔の蘭学と漢方医学のようにかみ合わないところが目立つ。つまりフロイトとかラカンとか言う人達は、お医者様であるよりも思想家だったのだろう。

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