NHK平清盛(08)宋銭と内大臣:悪左府
承前:NHK平清盛(07)光らない君:清盛はもてたのでしょうね
NHK大河ドラマ公式あらすじ
龍馬が初めて長崎を訪れたとき、当時長崎の国際都市としての雰囲気が良く出ていて、それを見た龍馬が一々驚く姿も印象深く思えた。今夜の清盛が平家貞らにつれられて博多に来た時の感激ぶりも、商いが宋銭で行われているのを知って感動しているのが面白かった。平氏の荘園自体は佐賀県の現・神埼市だが、宋の商人と平氏とが密・交易をするのは博多らしい。
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↑平氏が管理を委ねられた神崎荘:なんと吉野ヶ里遺跡のすぐ隣(笑)
ところで佐藤義清(のりきよ・西行:藤木直人)の立場がますます微妙に描かれていた。これならば後に出家遁世してもしょうがないというドラマ伏線の張り方に感心した。
北面の武士として当時の王家のそばにいて、若き西行自身の美貌や才能がどう扱われていくか、その中での西行の複雑な気持ちがわかる描き方なので、後日に西行がなにもかも振り捨てて御所を辞去するのが理解できる。西行の男ぶりや歌才が後宮女性達だけではなく、崇徳天皇や鳥羽上皇というこれ以上ないほどに高貴な人々から愛され嫉妬される情景は、実は私のこれまでの考えの中ではなかった。北面の武士が院の警護という役職とするなら、この段階での崇徳天皇との関係がわかりにくいのだが、ドラマとしては、崇徳天皇が西行に「鳥羽上皇の為に歌を造るなど、許さぬ」と怒ったのが、自然に飲み込めた。人麻呂だけではないが、歌人とは、だれに歌を捧げるのかという点で、政治家や武人並に難しい立場に立つこともあると理解できた。
いつものように短時間に様々なエピソードがあったが、ほぼ初出の悪左府・藤原頼長の貴族ぶり、癇症、潔癖さがあざといほどによく描かれていた。いちいち写本をまっすぐにしたり、杯中の菊花弁を細かく扇子の柄で取り除いたり、物をつかむにも袖布に手を包みきり指さえ見せぬ潔癖さ、……。いやはや、ドラマを造る人達の執念というのは、すごい、と感じ入った。もちろん、俳優自体も素晴らしいがいまはまだ新選組副長の姿を思い出してしまうので、もう一回すぎれば、悪左府世界にはまりこんでしまうような、そんな予感がした。
いや。本当に今年の平清盛はおもろい。
これで視聴率がわるいなら、世間はもののわからぬ耄童ばかりになったということだな。イケメンと言われる者達も、西行とはいわぬが、歌一首よむくらいの雅をみせてほしいものだ、なあ。
◇予習復習
悪左府・藤原頼長だが、直訳すると悪い左大臣、怖い左大臣、尋常ではない左大臣と言えるか。左府は中国官制での日本の左大臣相当。おそらくなにかしら「格好良く言う」と、左大臣よりも左府の方が引き締まった雰囲気があったかもしれない(当時の者ではないので不明(笑))。和風だとヒダリノオトドとなろうから、Safuの方がインテリに思われる、だろうか。今も昔も日本はよその國の風俗言葉を大切にというか、格好つけのためによく使ってきた。
で「悪」だが、現代でも悪名といえば、なにかしら洒落ッ気が含まれるが、当時も「悪」のニュアンスは、おそらく、悪い小父さんの意味よりも、ちょっとした伊達もあったのじゃなかろうか。悪源太は頼朝や義経の長兄にあたる源義平の異称だが、悪い人というよりも、めちゃくちゃてごわいやっちゃ~というような意味か。
さてやっと、悪左府。藤原頼長は今夜は内大臣:内府だが、後日左大臣になる。左大臣というのは、朝廷における実質的に最高の権力者と考えて良かろう。他にいろいろ上級の官名はあるが、左右大臣の左が最高権威となる。ところで、左とか右は、天皇さんの席に座って左が左大臣、右が右大臣となる。それが悪の左大臣と呼ばれたのは何故か? 詳しくはドラマを見ればわかる。
~
いや、よく分かった。悪左府が「粛清」というと、首筋・背中に氷刀を当てられた気分になった。
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