小説木幡記:日常繁忙と閑散
本格的に授業がはじまったようだ。昼時間にドアノックがあって顔をだすとみなれた顔が二つ、「先生、すみません、屯所(資料室)を開けてください」「うん。どうした?」「先輩達の過去作品を見て、今作っているのと比べるつもりです」「ほお、熱心な」
部屋を開けて入ると、冷蔵庫並に冷えていた。北向きの寒い部屋だが、外気温が低く曇り空だと北向きも南向きも関係ない。ともかく2人を入れて、電気と暖房を付けて余はまた研究室にもどった。
明日の授業と明後日の授業の詰めを朝からしていたのだ。おおよそは年末に仕上げていたが、油断したせいか、最後の詰めに手間取った。簡単なことだ。受講生にとって60点がボーダーラインで、一点でも少ないとまた来年再履修することになる。ところが、数字・成績の魔術というか、この58とか59点とかが実に多い。約10%ある。それを年末は放り出して正月を迎えたわけだ。しかし、いざ決着日が近づくと(つまり通年授業で、相当に過酷な科目については、点を示して、一応受講生の言い分を聞くようにしている)、あらかじめ余は素点を決定しなければならぬ。1点か2点を加算する理屈をあれこれ個人単位で考えねばならない。でないと、加算されない者は黙ってはおらぬ。またなぜ加算されなかったかもきっちりと落とし前を付けねばならぬ。
~
評価とは。上等な評価とは何か。単純だ、努力の精華ないし成果を、理由付けて評価することである。その理由は正当でなければならない。そこが難しい。
ということで、最後の1点か2点に悩むのが、この20年近くの常態であった。だから、このことにはおそらく深淵な理由があるのだろう。曰く、板子一枚下は地獄。曰く、虚実皮膜。曰く、○○と◆◆とは紙一重。曰く、勝てば官軍、負ければ賊軍。曰く、恋愛と戦争は、取った者勝ち。~ああ、よいたとえが思いつかない。後半はだんだん意味を外れていくような思いがする脳。
ともかく、余の忙しいは無能の証。暇なのは、人生黄昏の印。どっちもこまったことじゃわい。
一息ついて一時前に屯所にもどったら、倶楽部員が1人で弁当をたべ、客人も一人ふえておった。みんな熱心に勉強しておる、あはは(笑)。
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