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2012年1月18日 (水)

小説木幡記:芭蕉・西行と讃岐の崇徳院・白峯陵

 NHK平清盛のことで記事を書いていたとき、京都の白峯神宮に行き着いた。そこでなにか記憶の断片が脳の片隅で光り、気になっていた。そのときは、芭蕉との暗合だった。しかし讃岐の白峯陵と縁の深い人は、崇徳院と同時代の西行で、その西行を通して近世の芭蕉が結ばれると言う話を、保田與重郎の『現代畸人傳』で眼にしていたのだ。この、西行と芭蕉の結び付は、保田先生の特徴で、余も先生のいろいろな著書でそのことについて眼にしてきたわけだが、なかなか知識や情感が余自身の深い血肉になっていなかったせいか、NHK大河ドラマの先読み(保元の乱)をしても、思い出せなかった。

 今朝、現代畸人傳を紐解いてみると、崇徳院と西行、後醍醐天皇と芭蕉、そして西行と芭蕉という結び付に日本の文學史の命のようなものがあるという話があった。少し長くなるが、以下に引用しておく。

 後鳥羽上皇の少しさきの時代のことだが、崇德上皇に對し奉つた西行のこころを、近世日本文學史の序章とすることは、まづ穩健な考へ方であるが、西行の身のおきどころとした、西行文學の生命の終着は、白峯陵だつたのである。このことあつて、芭蕉の志の生成の理も理解できるのである。わが國の思想史上に南朝を大きく顯揚したのは、水戸の義公であるが、文學者として始めて、太平記の南朝を詩人のつひの心のなげきとして、文學史上にかかげたのは、他ならぬ芭蕉である。それが元祿文藝復興の詩だつた。吉野山にのぼり、西行庵のとくとくの淸水に身心を淸めた芭蕉が、いよいよ吉野山の數ある名所舊蹟の中へ入つていつた時、すでに日は黄昏に近づいてゐる。この芭蕉は名ある名所舊蹟の數々をさしおいて、まづ後醍醐天皇の塔ノ尾陵に詣でるとしるしてゐる。これはわれ一人ゆく人の激越な文章である。~略~わが朝文人の風習に從つて、芭蕉は白峯陵の西行を先蹤とし、目標としたのである。しかし白峯への旅はつひに生命ある間に實現されなかつた。芭蕉は白峯陵をさす途中、大坂で死んだのである。(現代畸人傳・天道好還の理/保田與重郎)


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↑崇徳天皇白峯陵:白峯寺

参考
 白峯寺公式サイト

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