小説木幡記:今城塚古墳の今昔
↓石見銀山
元日の夜はドラマ「相棒」を見て堪能した。上手な脚本だし、面白い面々だった。二日の昼はずっと部屋の片付けに専念したが、永遠にまとまらないような気がしてきた。原則、読んだ小説は処分する方向をはっきりとうち出した。そうでもしないと、破綻する。これは今月中半まで続きそうだし、まだ葛野も残ってOru。
高槻市の今城塚古墳を年末に畏友Joさんと見たのだが、これについて読書していると、古代史関係の人達の中にも、再整備がやり過ぎとの意見があるようだ。もともと公園化することに大反対のグループもあると聞く。さて、余の印象や感想や考えだが。余は「これでよい」と思っておる。もともと砦にされたり、地震で壊れかけたり、畑や田んぼになったり、遊び場になったり、自転車曲乗りの練習場になったり、それはそれは1500年間、時々の現世人たちに自由好き勝手にあつかわれてきたのだから、それなりの意味があったのだろう。「墓」という意味であらゆる別種目的に使われることを忌避する考えもあろうが、もともと人が造ったものだから、次代のものが不要と考えれば、墓・古墳を潰してあたらしい古墳や建物を造ってきた歴史がある。墓と言えば、一村全員まとまって盗掘に励んだ歴史もいろいろある。
現代の高槻市が今城塚古墳を大切な古墳とみなし、長い年月と長い資金投下のもとに、新しい形式の前方後円墳をつくり、そのそばには無料の資料館展示館まで造って、ひとびとに開放しているのだから、木が切られようが、周壕が現代の都合にあわせて壊されようが、「反対」とか「醜悪」とか「嘘」とかとは少しも思わない。人はそれぞれ思いがあろうから、現代日本ならある程度までその思いを口に出し、人を巻き込み運動するのも自由だが、できあがった今城塚古墳公園をみて、にんまり微笑む余がいるのも事実だ。「ようやった。ただの古墳を、ここまで綺麗にしてくれた。」と。
余はこれを書いていて思った。
今城塚古墳が更地にされて売られたり、その中がUSJとかTDLみたいになったなら、高槻市や住民が発狂したというだろう。しかし現実にはきちんと整備されて、埴輪のレプリカが飾られて、無料の資料館が開設されたのだから、これほどめでたいことはない。少なくともこの百年は、高槻市のやったことが大多数の少年少女への良い影響として現れるだろう。つまり「歴史を学び、過去を知る」ことに意味を見いだす。
その後のことはわからぬ。ミサイルが刺さったり、地震で真っ二つに割れるかもしれない。そんな先のことまで責任はとれぬ。
と、正月早々、今城塚古墳のことに思いをはせていた。
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