小説木幡記:土曜散歩・明治天皇陵
京阪電車中書島で降りてそのまま北へ歩いた。10分ほどで商店街に入ったので左右を眺めながら適当な昼食処を眼でおった。創作料理と読めて、ああ無国籍ものか、と通り過ぎようとしたが、880円でお造りと鶏唐揚げその他小鉢とあったので、ふらりと入ってそれを注文した。客は数名いたが全部ご近所の人に見えた。
そのまま大手筋に出て、今度は東に向かってゆるやかな坂道を登っていった。というよりも、大手筋という名前だからこれは安土桃山時代、織豊政権下の桃山城大手門に通じる道の名残かもしれない。左手にサンマルクが見えたので、看板をながめてみると、小振りのシュークリームと珈琲のセットが390円とあった。またふらりと入ってしまった。しかしシュークリームをスプーンで嘗めながら、「こんな甘い物を食べながら、わざわざ珈琲に砂糖やミルクを入れる人はおるのかな?」と、そっと見渡すと、店内一杯の多くの人がシロップの蓋を開けていた。余は迷わずブラックのままいただいた。
そこからさらに東へ、丁度京阪電車の踏切を渡った頃から、坂道が一層身近に感じられるようになった。毎日ここを歩いて通勤する人は随分と身体によかろうな、と物思いにふけりながら歩き続けた。しかし御香宮の前あたりになると坂は緩やかに見えるのに「おお、きついな」とため息をついた。そこからまだまだ延々と歩き、24号線やJR奈良線をわたり、ついに参道に入った。
明治天皇さんのお休みになっている処だ。
足腰がなれたのか、参道に入るとだいぶ楽になり、「ああ、自動車の走らない道はよいな」とつぶやきながら、途中休みもせずに一気に御陵前まであるいた。そこで帽子をはずし、黙祷を捧げた。なにかしら、明治大帝がいなすった御蔭で、日本は植民地にならずにすんだなぁ、という深い感慨があったのだ。大帝をもりたてる人達の気が充満していた時代が、明治時代だったと思うのだ。
帰りは遠く昔の巨椋池を幻視しながら、宇治川を眺め、眼のくらむような階段を機嫌良く下りた。下について京阪宇治線の桃山南口駅に着いたときは、さすがに歩き疲れて電車に乗った。うむ、文明の利器じゃ。座るとほっとした。今日は昼食やお茶や散歩で2時間強、実質4キロほど歩いたことになる。土曜散歩としてまずまずだ。
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