小説木幡記:DNC:センター試験
数日前、日本中のたくさんの若者(高校3年生が中心かな、50万人以上)達が一斉に同時刻、同一の試験を受けた。二日間だった。
余も某所で、その国語の時間に試験監督をした。
何科目も受ける生徒達も大変だが、試験会場を設営して、準備して、監督するのも難行苦行だ。余なんかいつもは気楽な大学生活(笑)しておるが、毎年いまごろ、役(えき)のような監督が回ってくると緊張して前夜も眠れなくなり、当日は朝から青い顔して控え室の机に突っ伏しておる。
まして受験生はずいぶん緊張しているから、ちょっとしたことでも気分が落ち込むようなのだ。
だから、日頃の余からするとお笑いのような真似をしておる。
1.前夜から水断ちなのだ。
試験監督の一人がうろうろ廊下に出てトイレへ直行するのはよくない。
2.前夜からスーツや靴を整える。
年に数回、旗日にしか身につけないネクタイやスーツを用意し、靴音のしない、それでいて目立たない靴を用意する。もちろん靴下の色を赤とか紫にできるわけがない。
3.斎戒沐浴
一応は教室を巡回するから、ニンニク臭も、加齢臭も、オードトワレ臭も、整髪臭もすべて御法度。まるで無色無臭透明人間になったような~。
4.睡眠十分にとる
監督中に居眠りしたり、欠伸したりすると、たちまち受験生から訴えられる。
5.監督前
スマホを研究室に置く。もっていくと無意識にスイッチを入れて、着信音に軍艦マーチなんかがなると、アウト。
6.試験前試験中試験後の表情
お通夜表情を練習する。受験生に歯を見せて笑うなんて、天誅をうける。
さて、相当に長く社会生活をしている余にそこまで細々しく強いるのは一体どこのどなたか。受験生さまなのか。それとも日本國の官僚たちなのか、政治家達か、保護者たちか、~あれあれ、余の属する組織か?
おおもとの、独立行政法人・大学入試センターのサイトをひらき、「何故、こういうセンター試験をするのか」を調べてみた。すると「センター試験の役割」という頁があって、そこに事情がいくつか記されていた。
ふむふむ。
なるほど。
ほお。そうなのかい。
と、50万人も60万人も毎年一斉に受験してきたセンター試験の事情をながめてみたが、実に日本人らしいというか、学歴世界というか、形式的というか、無意味というか、一体こういうシステムをそもそも発案なさったのはどういうお方なのか、と興味が湧いてきた。善意が仇になるとはこういうことなのか。と、この年になって眼から鱗が落ちた。教育思想の一つが上手に官僚や世間を巻き込んで、人質取られた親御さんの賛同を上手に引っ張り出して、センター入試を超精密システムと同じく完璧に動かすことが日本の未来を保証する。と、そういうノリだな。いや、元来科挙試験に強い官僚が先導したのだろうな。
教育は難しい、と余の心底の吐息が今、でた。
義務教育が国家百年の計を支えた。しかし全国一斉「センター入試」が百年の計を支えるかどうかは疑わしい。壮烈な無駄だったと、余は思う。
傍証
試験の手際を失敗したくらいで、受験生かわいそうとか、試験関係者を犬畜生扱いしたり、試験中に着信音がなったくらいで監督者を厳重注意したり、あるいは試験会場が大騒ぎになったり、~。非現実的な世界を試験中だけに適用し、破綻したからと言って大騒ぎするのは、ほんとうに、みんな正気なのか? この試験さまのおかげで、日本の大人度は著しく減じた。
余はシステムに対して一家言ある。
破綻するようなシステムを提案したり採用するのが、一番の間違いなのだ。
想定外も想定内も関係ない。破綻しないシステムを導入すべきなのだ。もともと全国一斉同一条件なんてのは、発狂システムだな。そういうことは、曲芸であって、毎年上手くやってこれたとしても、褒められることではない。
1点の違いに数千人が居る。怖い世界だ。発想したひとは、そういう世界が好きだったんだぁ。それに容易にほいほいと乗るのがわが愛すべき日本人なのかもしれないな。
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