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2012年1月20日 (金)

小説木幡記:言葉の背景「先生とK」

Simg_7553 「先生」と「K」といえば夏目漱石の「こころ」のことだが、先週、ある若い同僚の近代文学講義を授業参観した。非常に優れた講義として、人から参観を薦められたわけだ。実は昨日も続きがあったのだが、すでに余は猛烈な、いつ終わるともわからぬ目録作品の採点に入っており、欠礼した。で、一週間前の授業内容の詳細については措く。ただ感動が実に深く、機縁あって、その先生と話をする機会が生まれた。同じキャンパスにいても学部や学科が異なると、よほどのことが無い限り、エレベータ中での立ち話程度しか生まれないものだが、幸運にも専門家の話を直にうかがうことができた。

 そのとき、余はいささか勘違いをしてどうにもサマにならない質問をした。
 そこで、一週間も経ったので冷静にそれを考え直してみた。

 つまり、小説作品中で「K」というよそよそしい記号を使ったのは、「先生」も漱石もKに対して相当に距離を置いた、余の感触では冷淡な関係を持って、描いたのでは無かろうか、という解釈があったとしよう(笑:事実あるようだ)。で、余は「しかし、先生といわれるほどの馬鹿じゃなし、という地口があるほどに、『先生』という呼称も冷淡、突き放した記号用法ではないでしょうか?」と、言ってしまったのだ。

 若い同僚は勿論首をかしげたが、余が高齢(爆:たしかにな)だったせいか、強い反論はなく、「いえ、明治末ですが、そのころはまだ「先生」という呼称は世間的に上等だったと思いますよ~」程度で終わった。

 で、一週間たって思い返した。記号・Kと、記号・先生とでは、後者は「師」とか「老師」とかいうほどに値打ちのあるもので、それが明治大正時代だと、まさに現代のような軽く扱われた「センセ」とか「(代議士)先生」とかとは大きく異なると実感・気付いた。

 ということで、現代でも過去でも、ある言葉がどんな風な意味合いで使われたかを考えるのは大切だと思った。そういう考証は難しいことだが、おそらく象牙の塔の住人はそういうことを解明するために時間と情熱とをかける必要があって、それあってこそ現代「先生」と呼ばれるにふさわしいと思った。

 余の分野でいうと、中国なら秦の始皇帝時代、日本でも飛鳥時代や奈良時代の初期には、「本」といって直ちに現代の紙図書を想起するのは間違いの元だということがある。紙の図書が普及する前に、長い時代、竹や木に文字を書いてそれを紐で綴ったものが多かった~。また、以前にうかがった、萬葉集時代には雨が降ると恋人同士の逢瀬はあり得ないとか~、本当に現代から考えると想像もつかない世界があったと、なかなか「先生」が居ないとわからないものだ。

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