« 小説木幡記:JMRIだけでなく、Appleが冴えてきた: iBooks Author | トップページ | 小説木幡記:二尊院と西行庵跡や定家卿時雨亭跡 »

2012年1月22日 (日)

NHK平清盛(03)源平の御曹司:源義朝という男

承前:NHK平清盛(02)無頼の高平太:白河法皇崩御
NHK大河ドラマ公式あらすじ

先付け
 今朝、ドラマのあらすじを眺めていたら、「瀬戸内海で自称船の警護役」をしていたと書いてあったので失笑してしまった。というのも、現代用語で「自宅警備員」という職業があると學生達の話題から学んだが、これは要するにニート、引きこもり、家にこもった人をさすようだ。隠遁者との違いなど不明な点は多々あるが、この「船警備員」も、清盛が一門のまとめ役、武門の長となることから遁走し、政界財界とも断捨離した状態をさすのだろう。平家の御曹司がこのていたらくのままでは、なかなかドラマが成立しなくなる、のう。

 ちなみに御曹司は、当時の言葉では源家によく使われ、後日の平家では公達(きんだち)とよばれた。曹司とは部屋で、若い者の部屋住みをさし、名門名家に多いから、ええとこの坊ちゃんらしい。源家だと似合うとも思った。というのも、後の源九郎義経だが、鎌倉の兄・頼朝のもとへ初めて行ったとき、兵ももたないこの弟に頼朝は部屋を与え、それなりの待遇をしただろうが、回りの者達は、九郎殿とも呼べないし、弟ごさまでもないし、御曹司とよんでいたような、そんなイメージが湧いた。

さてみどころ
☆ 清盛が京の都の雑踏で遊んでいるようなくだを巻いているような場面で、朽ちかけた羅城門(かどうかは?)の2階を写していたが、とてものこと週間TVドラマとは思えなかった。深みや汚れ(笑)や精細さは、当時の平安京を俯瞰している気分になった。
 今回の映像は、良いと、毎回思っている。
 随分丁寧に根気よく写しているせいか、本当に平安京のスラムを歩き回っているような気分になった。

☆ 璋子(たまこ)さんはいささかぷっつんというかあっけらかんとしているというか、ご主人の「鳥羽上皇」に対して息子の崇徳天皇のことを、「白河院の種ですし、叔父子(おじご)といってよいのですから、かわいがってやってください」という意味のことをさらりと言ってのけた。
 つまり白河院の息子が堀河天皇で、その弟が崇徳天皇だから、堀河天皇の息子である鳥羽院からすると、自分の正妻の子である崇徳天皇は、叔父であり、自分の子であるという、じつに『暗黒館の殺人/綾辻行人』的なアクロバットさ加減である。

 勿論、崇徳天皇が璋子さんと鳥羽上皇との間の本当のお子さんなら、こういうことはブラックジョークにすぎないが、その後の騒乱を見ると、実話のような気がする。
 今夜もりょうさん(堀河局)が縦皺をよせて、鳥羽院のことで心を痛めていた。
 (今回の女優陣はいつにもまして、おのおのがた、濃い女性が多いな。このりょうさんと杏さんは双璧だ)

☆ さて、後の西行法師(佐藤義清のりきよ:藤木直人)とか源義朝(玉木宏)とか、今をときめくイケメン君たちがそろそろ姿を現してきた。いつぞやのガクトさんほどの異様さではないので、普通の意味でのええ男という感じがしますな。いやはや史実の上でも、西行さんはなんと北面の武士として、うわさの待賢門院璋子さんと道ならぬちぎりをもってしまうし、また、義朝さんは、正妻との間には後の鎌倉幕府創始者頼朝の父となり、千人に一人の超絶美女「常磐御前」とは天才義経の父となるわで、~史実の色男と現代男優の色男ぶりとが交錯して、なんとも不思議な雰囲気がありました。

★ ということで、来週あたりは、平忠盛が闇討ちに遭うとか遭わぬとか、そろそろ清盛さんも根性いれなおさないと、なんてこった、大変だぁ~。

◇予習復習
 清盛・義朝の年齢差は5歳だった。そのことをまとめると次のようになる。

   平清盛 1118~1181 64年間
   源義朝 1123~1160 38年間

 清盛と義朝がともに世間で一躍名を上げたのは保元の乱だったから、そのときの年齢を次に示す。
 保元の乱 清盛・満38歳 義朝・満33歳 (1156年 保元元年)

 次に3年後、清盛が勝利し武家の代表となり、源義朝が破れ殺害されたのは平治の乱だったから、そのときの年齢を次に示す。義朝が殺害されたのは東国へ逃走中に身を寄せた尾張国だった。
 平治の乱 清盛・満41歳 義朝・満36歳 (1159年 平治元年)

 清盛が5歳年長だった。年齢差が関係するのかしないのかは、多分無関係と思うが(笑)、保元の乱の様子を『西行と清盛/五味文彦』では、わかりやすく、清盛は近畿一円から家の子郎党とその配下による兵300を集め、源義朝は東国を中心に主従関係にある兵200を集めたという。同書によれば、乱平定後の恩賞は平家に厚く源家に薄かったよし。清盛は播磨守(兵庫県南西部)となり、主立った親戚が昇殿を許された。義朝は右馬権頭(うまごんのかみ:兵馬権・警察権のような職の次官あたりか?)で、親族ともども昇殿を許された。播磨守とは差がある。

|

« 小説木幡記:JMRIだけでなく、Appleが冴えてきた: iBooks Author | トップページ | 小説木幡記:二尊院と西行庵跡や定家卿時雨亭跡 »

NHK平清盛」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: NHK平清盛(03)源平の御曹司:源義朝という男:

» 息災也 [虎党 団塊ジュニア の 日常 グルメ 映...]
「何も出来ないつまらない弱い野良犬」「うるさい負け犬」コーギーかわええやっぱり、犬ドラマな平清盛第三回源平の御曹司甘やかされた御曹司の清盛は、まるで厨二病みたいに、ガキ... [続きを読む]

受信: 2012年1月22日 (日) 21時32分

» NHK平清盛(04)殿上の闇討ち: [MuBlog]
承前:NHK平清盛(03)源平の御曹司:源義朝という男 NHK大河ドラマ公式あらすじ あて、というか  ドラマの終わる頃、紀行が数分あった。これまでのNHKドラマでも、いつも楽しみにしていた。今夜は近所の宇治平等院だった。摂関・藤原家が翳りなくさかえていたころ、関白・藤原頼通の別荘としてまるで浄土を思わせる阿弥陀堂を造った。それが今に残っていて、押しも押されぬ世界遺産である。頼通は全盛期・道長の息... [続きを読む]

受信: 2012年1月29日 (日) 19時45分

« 小説木幡記:JMRIだけでなく、Appleが冴えてきた: iBooks Author | トップページ | 小説木幡記:二尊院と西行庵跡や定家卿時雨亭跡 »