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2011年12月 9日 (金)

小説木幡記:現実世界の再現性

0img_4697 以前、光よりも早いものがあるという可能性が発表されていろいろ話題になった。その事実から、あり得ないと考えられてきたタイムマシンのことも、理論の上では将来あり得ると聞き、記憶に残ってしまった。

 そこで光速よりも早いものの存在をどんな風にして観測発見したのかは、難しいので避ける。ただ、科学上での証とか信憑性は、理屈の通る仮説とそれを証明する経緯や結論が、繰り返し、再現できることにあるようだ。Aという研究者がある仮説を立て、そこに仮説を立証するための方法論があるとき、それをBもCもDもが、同じように実験して同じように結論が出たとき、その仮説が事実として受け容れられる。
 それが科学というものらしい。

 となると、光速を越えるものの存在話は、実験が難しくまだまだ完全無欠の再現性のあることとは言えないようだ。今後、どうなっていくのか楽しみだ。

 で、ここから漸く本題に入る。
 余にとっては昔の話だが、複雑なプログラミングシステムになると、たしかに再現性をともなわない不思議なエラーに直面することがあった。これは大抵はプログラミングした余の中の論理性におかしなところがあって、それに気付かないためのものがほとんどだった。まれに、ごくまれにそういう特定プログラミング言語の仕様におかしなところがあったり、あるいは機器(PCとか周辺装置)が経年変化で間違ったふるまいをする事例もあった。
 現実的には要するに、「間違い」が余の脳思考に最初から含まれていて、その間違いに気付かないことによる、再現性のない時々のまれの、不思議なエラーにつながるわけだ。

 で、それは論理的エラーだから、直せば治る。簡単といえば簡単なのだが、勿論そういう組み合わせが数万行、数十万行の実社会的システムだと、モグラ叩きゲームのようなエラー発見・排除が生じてきて、システムが廃棄になるまで関係者は日夜修復に励む(笑)。となると、まともなシステムなど最初から「無い」わけだ。それでも動くのが、逆にいうと、「現実世界」のおおらかさ、許容量の深さでもあろう。余はそう考えて居る。
 (ああ、人間システムこそ、日夜修復に励まざるを得ぬ矛盾、間違いだらけの現実システム典型かもしれぬ)

 で、やっと結論話。
 DCCというか、鉄道模型をPCで制御する話だが。
 実に面白い。 
 なぜかというと、プログラミングシステム上では完全な、エラー無しの、すっきりした状態なのだが、これが再現性の全くない、常に変化するエラーに悩まされる。
 つまり、正確な運行の再現が不可能なのだ。

◆ この対処方として、「時を待つ」命令を要所要所に入れると、治る事例はある。
 PC上で発行された命令が上手にレール上の機関車に伝わらなくなるのが原因なのだ。いろいろな命令、指示がレール上に信号として流れるので、特定機関車上で情報の取りこぼしが生じる。だから、ある命令を出した後、十分の一秒とか、1秒とか、相手が信号を受け取るまで「待つ」わけだ。これによって、PC上のプログラム言語で書かれた「アルゴリズム:ああして、こうして、こうなった~」を現実の模型列車が果たす。
 軽症といえば軽症だが、気がつくまでは汗が出た。
 一番よい方法は、
 プログラム:「この命令、わかったか?」
 機関車:「わかりやした、ここで反転し後進に入るよ」
 ~と、対話形式が佳いのだが、ちょっと大げさだな。

◆ 情報の取りこぼしというはっきりした理由ではなくて、ありとあらゆる現実世界の条件変化によって、アルゴリズムが失敗する事例が多い。システム上では、1秒前進して、1秒後進する繰り返しプログラムなら、機関車は必ず元の位置に戻るはずなのだが、模型とはいえ現実の小さなレールに乗った1/80とか、1/150の縮尺列車は、絶対に出発点に戻りはしない。時に行きすぎ、時に途中で止まる。

 まるで蝶蝶が羽ばたきしただけで、地球の裏側で嵐が起こったり、誰かがタバコをすっただけで、近所の生命体数体が若死にするくらい~それくらいに因果関係が不確かな、それでも何か分けのわからない結果をもたらす。

 レールの汚れによる摩擦係数の変化か、集電力による電圧の変化なのか、家庭用電気の不安定さなのか、気温や湿度の微妙な変化なのか~、本当に因果関係が分からない。
 (たとえ小さなシステムでもPCのOSは巨大複雑だから、それによって時間配分や実行のずれはある)
 何かの原因で、いや神仏のお考えかもしれぬが、小さな機関車は絶対に出発点に戻らない。わずかに30センチほどの水平直線レール上であっても、現実模型は、システム上のアルゴリズムを拒絶する。
 それは、システムにエラーがあるからでは断じてない。
 
 現実とは、本当に再現性の難しい、複雑な環境であることよ。
 この歳になって、再認識した。

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コメント

ロジックスとフィジックス

 プログラミングと鉄道模型の話はこれまでの経験で何となく分かります。
プログラミングがもし完全にロジカルな世界だとすると摩訶不思議な結果は起こらないはずです。
ロジカルな世界の中であればね。

 しかしそのプログラムで列車を動かすとなると話は別となりますよね。
鉄道とか列車というのはロジカルなものではなくフィジカルなものですからねぇ。
ロジカルとフィジカルとは言ってみればデジタルとアナログとなりましょうか。
こんな話はMu大兄はとっくにご存じの話なので言うに憚られますが・・・。
譬えて言いますとロジックの世界は頭だけの世界、アナログの世界は肉体の世界となります。

 当方はコンピュータでもハード屋だったので肉体の世界でした。
これは完全にアナログの世界でしたなあ。
同じ設計図で物を作っても、一台として同じものは出来ないのですね。
ソフトはコピーすりゃあ、全く同じものが出来ますのにねぇ。

 もう一つは光とニュートリノとどっちが速いかというお話。
このニュースには本当に驚きました。
何に驚いたかといいますと、光の速度というのは実体が確定されていたのか?というところにです。
そもそも光とは何なのかはハッキリとしているのでしょうか。
ニュートリノと駆けっこをした光とは一体どういうしろものなのでしょうね。
例えば重量を持つのか持たないのか、とかのフィジカルな特徴です。
ま、同じことがニュートリノにも言えますがね。

 ひょっとして光の速度はいつだか誰だかが測定したのか理論上なのか、1秒間に地球を何周したとかの値を持っていたとしましょう。
それに対して今回ニュートリノの速度(これも意味がよく分かりませんよね、どう走らせたのか?)が速かったと業界では言っているようですね。
勝手に走ったのか強制的に走らせたのか、それが分かりません。
光とニュートリノと全く同じ条件で駆けっこをやらせてみたのでしょうか。

 同じ人間でもウサイン・ボルトは9秒ちょっとで100メートル走ります。
当方などは最速16秒くらいかかりましたです。

 当方の希望は、光より速いのがいたというよりも、一番分からない(光)と(重力)の本質は何なのか、どなたさんかに分かり易く説明していただきたいということなのですけどねぇ。
なんせニュートリノはよう分からんけど(光)と(重力)はこちらの日常生活にモロに関係していますのでね。

投稿: ふうてん | 2011年12月10日 (土) 00時13分

ふうてんさん
 後者の光や重力や時間や空間は、なかなか理解し難いので、余生の手習いにしてもよいですね。もしかしたら一石(カタカナが嫌いで)さんみたいな才能が現れてくるかもしれませんよ、国立市で。

 で、前者ですが。この記事を書いていたとき、昔のふうてんさんとTOWNS開発が念頭にあって、いまさら「そうだ、そうだったんだ」と独り合点しておりました。

 まず80386か80286か、疑似16ビットCPUを積んだTOWNNSは他のペリフェラル、それはメモリーさえも周辺装置、CDや音出しやと同期をとるのに、ウェイト(待機時間?)を普通の数倍、かけたりはずしたりして、ちゃんと動くのを確認していたという話。みんなの速度が異なるから、新しいインテルCPUにあわすのに苦労があったんでしょうな(と、想像)。

 もうひとつは、CD搭載で、音と動画との同期をとるのが、ものすごく難しいことだと知りました。プログラム通り音や動画が合致するなんて、あり得ないことだと、ふうてんさんの話を当時うかがって、はじめてそういう問題があることに気づいたのです。

 すべてはアナログ世界の問題で、これがあるからこそ、この不確定わけのわからなさがよこたわり、だからこそ味わいの底が見えぬほどに深いのでしょうな。
 これからはロボットこそが一番アナログな不明瞭な味わいをだしていくでしょうな。

投稿: Mu→ふうてんさん | 2011年12月10日 (土) 09時49分

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