小説木幡記:ふりさけみれば
ふりさけみればという言葉だけを取り出すと、振り仰いで遠くをみる、となって単純に後ろを振り返って遠方を眺めることにすぎない。しかし古歌に阿倍仲麻呂「あまのはらふりさけみれば、春日なる三笠の山に出でし月かも」を少年期から一度や二度は耳にしていると、その歌が背景にでて、望郷から追憶に心が簡単に飛んで行く。
ちかごろは大学教育でも「振り返り分析」があって、昔風の「総括」とか「自己批判」よりもなめらかに過去を思い出して、紆余曲折、その今に至る経緯を再現し、分析評価をすることが多々ある。
もう少し文学的にいうと「過去を噛みしめる」とでもなろうか。
ひとりひとりの人生だから、過去の紆余曲折に無駄はない。まるで親の意見となすびの花に千に一つのあだ(むだ)も無いのと同じことだ。過去のすべてが現在と未来の滋養になる。と、そう思うことが大切だ。過去をすべて切り捨てたなら、現在の立場も明日の未来も雲散霧消。過去を間違いだった無駄な人生だったと否定して、ならば今よりはまともな人生歩めるかというと、そんな曲芸は出来るわけがない。
まあよろし、人の事はよいのです。
我が身をふりさけみれば、……。
いまさらながら、一つ一つの経験を思い出して、大切に修理したり心の博物館に展示したり、埋蔵埋め直したり、焼き尽くしたり、いろいろと過去を洗い出し丁寧に整理整頓しよう、と思う様になった。いつもいつも駆け足では息が切れて、どこへ、なんのために、なにをするために走っているのか、分からなくなってしまう。
1.たとえば職場の現在・大学教育ならば
半期15回授業のドラマツルギーが必要だな。同じことを平板に話すよりも、なんとか劇的に再編成できぬだろうか。大河ドラマでもうまく行った年は、序盤、中盤、夏場、秋場、終焉、そして総集編と上手に出来てOru。
2.たとえば自宅の現在・余生のことならば
麻のように乱れた、スパゲッテイ状態、てんこ盛りの研究や趣味や読書や余技を、もう少し整理整頓しなくては。これはひと言では言い尽くせない。
日曜作家を平日作家に持って行く、つまり毎日作家する態勢の組み替えが必要だ。そうでもしないと作品が永遠に完成しない。毎朝午前3時起床で、3時半~5時半まで2時間継続すれば、脱稿が速くなるのう。
足腰が達者で運転が安全にできる間に、組織的に旅をしておく。これは近場は自動車で、遠隔地はJRや私鉄だな。
プログラミング言語はPython、Jythonでの鉄道模型の知能運転、未来の図書館列車運転を存命中に完成させたい。
3.精神生活
瞑想に尽きる。これは時間をとるが、気持ちはよい。部屋を暗くして天井を眺めているだけでよい。これがあれば、振り返りも未来予測も何も要らなくなる。今を暗黒虚空に漂う。
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