小説木幡記:年の瀬のubuntu11は鬼門なり
今日も今日とて葛野詣でをし、一風呂あびたわけではないが熱湯で顔をひきしめ、珈琲をすすって、機械類がすべて走ったり動いたりするのを確認し、心の準備を十分にして、同僚の若い先生と朝一番の仕事をした。思った以上に良い結果だった。そのあと、また一人で延々と、夕方まで仕事した。尽きないくらいにいろいろある。
それでも昼食は11時過ぎには鴨ナンバ蕎麦を食べに出かけた。日頃は片道20分程度かかるのだが、その時間帯は年末のせいもあってか15分だった。蕎麦屋の大将もこっそりと張り切ってくれたのか、鴨の切り身が大きくて噛みしめるとじゅわっと味がにじみ出てきて、満足、「ぜいたくしたな」と独り言して店を出た。
その後も延々と仕事した。
さて、ubuntuのことだが。
実は仕事しながら時々隣のPCをマウスで指示していろいろ確かめておった。それが今日の午後にようやく上手く行ったのでほっとした。最近、小型のITXマザーボードを完全に変更し、メモリも8GBに変えて、CPUはインテルのi3にしたのは話したな。その後黙り込んでいたのは、実はここ何日も上手く行かなかったのだ。
結論をいうと、余はubuntuの11.04DVDを持っていて、このDVDからしかインストール出来なかったわけだ。それまで以前のマザーボードでとろとろと動かしていたのは、ubuntuの11.10だったが、総入れ替えなのでネットで気安くヴァージョンアップできなかった。要するにゼロスタートになったわけだ。
で、11.04というのは2011年の4月版で、そのDVDだけあったのでインストールしたわけだが、これがなんというか、ひっきりなしにリセット、再起動をかけよる。???と思いながらもなんとか画面がでて、上海や上海やラザラスや上海やをちょっとクリックするだけで、再起動がかかる。ほとほと参った。凹んだ。
どうにもしようがない。
一番に疑ったのは、ITXマザーボードやメモリーやCPUの相互無相性だったが、これは検証するのが難しくて、何度も何度もインストールし直した。つまりハードディスクえらーの疑いもあったからだ~。
もう、最後の最後の結論にすると。
要するに、研究室中をさがして、やっとubuntu10.10のDVDを今朝7時過ぎにみつけ、これを午後にインストールして起動したら、おやまあ、なんてこった、ubuntu10.10は新しいハードシステム上で矢のようにはしりまわるではないかぁ。
久しぶりの上海は、上級で3分2秒もたたき出した。
要するに、先のマザーボードでのとろくささとか、今回のこととか総合すると、なんとなくubuntu11.04や11.10はハードシステムによっては、極端にとろくなり、また再起動を繰り返す代物のようだ。
だから、次回2012の春、12.04まで次の仕様は待つことにした。2011仕様のubuntuは鬼門だな。
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