小説木幡記:赤朽葉家の伝説/桜庭一樹、を読む
昨日の日曜日に珍しく、『赤朽葉家の伝説/桜庭一樹(さくらば・かずき)』を読了した。珍しく、と記したのは最近の余の日常生活は何事も未完のまま終わることが多くなって、それで珍しかったのだ。
帯には「祖母。母。わたし。だんだんの世界の女たち:鳥取の旧家に生きる三代の女たち、そして彼女たちを取り巻く製鉄一族の姿を描き上げた渾身の雄編」とあった。余の評価は5段階で4+αを出す、とても優秀な作品だった。5にしなかったのは単純で、祖母の赤朽葉万葉、母の毛毬(けまり)の二人までは5だったが、三代目の瞳子になって3~4なので、結論は4以上5以下と相成った。ただし、三代目を低くしたのは余の固有の感性なので、他の人が読めば逆転するかも、あるいは5を出すかもしれない。
瞳子は現代、この今に直結する等身大の20代前半女性なのだが、その等身大の女性がシラケて苦しんで空をつかみ、それでも歩いて行くという、そういう純文学的手法が余には向かない、わからない世界だから点を下げたにすぎない。余は現世では唐変木というか、そういう平常の普通の心を理解できない、なにも分からぬ男なのだ。一種、分かりたくない面もあるが、だからどうしても世の中とはずれてしまう~いや、もうそんなことはどうでもよくて、余は4+αとしたのだから、それで佳かろう。
万葉は山の女だった。捨て子だった。千里眼能力があって、財閥の大刀自に見込まれて赤朽葉の嫁になった。
その娘が毛毬だ。ものすごい美形の女傑で、中坊のころに鳥取全部を取り仕切った族、暴やん、アイアンレディーズの頭を張った。ともかく薄いカバンには鉄板が入れてあり、ついでに背中にも鉄板。常にチェーンを持ち歩き、指の間にはカミソリを挟んでいる。その手の高校に入学したとたん、恋人が総長だったせいか、上級生がうすっと言って頭を下げて挨拶にきた、~という漫画チックなほどの姉御なのだ。いや、ものすごい世界だ。そして笑えるような仕事をし始めて、瞳子を産む。この毛毬ねえさんの暴れぶりと万葉ばあさんの千里眼ぶりとで、この作品は最初から9割方までは、巻措くあたわず、頁から離れられなくなったおもしろさだった。
瞳子を面白くないとおもうのは、実は余の昼の世界の仕事が大学の先生で、眼前身辺をうろうろする学生たちが、大体瞳子のように「何もしたくない」とか「いやだねぇ、社会で生きていくのは」という、ちょっとアンニュイ、大いに若い人達なので、そういう世界を日常にみていると、わざわざ小説で読みたくないよなぁ~という、単純な心理。
というわけで、出色の小説と言って良かろう。
桜庭一樹、世の中にはいろいろ異才がおるのだな。たのしみだ。
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